エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 進化論と食べものの歴史 2022年4月17日

ダーウィンの進化論は、とりあえず有名だよね。だいたいの人が知っている。と思っていたら、意外にも誤解されていることが多いんだと気がついた。周りにたくさんいた。

いや、もちろん進化論という言葉は知っている。人間は神様が神様に似た造形物として作り出したんじゃなくて、猿から進化した。そういうことはね。よく引き合いに出されるのはキリンだ。キリンは高いところの葉っぱを食べるために首が長くなっていった。そんな感じでさ。

キリンの例はまったく違う。それは進化論の説明になっていないんだよね。なんでこれが有名になっちゃったんだろう。だから誤解されちゃうんだろうか。

もともと、キリンの祖先みたいな動物がいた。それらは、遺伝子の突然変異によって、ちょっとだけ違う個体が生まれた。奇形と言っても良いかもしれないし、個性と言ってもいいかもしれない。そうだな。人間にも、背の高い人がいたり、ガッチリ系の人がいたりっていうくらいの違いなんだろうか。こういうのって遺伝的な形質だもんね。

でね。いろんなタイプのキリンの元の動物が勝手に登場するじゃない。同時に何種類もいる。それは人間に身長差があるようなもの。こういうことが、いろんな生活環境で発生するわけだ。川の向こう側とこっち側みたいに、物理的に離れていたりする。そうすると、「それぞれの環境で生き残るために、たまたま都合の良かった個性」が生き残る。生き残りやすいから。

A~Eの5種類の個性が登場したとして、川の向こう側ではBが生き残りやすくて、こっち側ではEだった。とか、そういう感じになってる。生き残りやすい個体がいるのであれば、長い年月が経つと、他の個性は徐々に減少していってしまう。最終的に、川の向こう側はBばっかりになったし、こっち側ではEばっかりになった。というのが進化論の話。

だからね。人類だってホモ・サピエンスだけが猿から進化したわけじゃないんだよ。サピエンス以外のホモ属が存在していた。それも、同時期にね。犬にも、柴犬とかブルドッグとか種類があるじゃない。あんな感じで、ぜんぜん違う個性を持った人類が実際にいたということまでわかっている。

中学校の社会の教科書だったかな。ネアンデルタール人っていうのが載っているじゃない。あれ、ホモ・ネアンデルターレンシスっていう種類の人類なんだよ。サピエンスと戦争までしている。3万年くらい前に絶滅しているけれどね。発祥は20万年くらい前だから、サピエンスとほぼ同じ時期。17万年間は同居してるんだって。ちなみに、クロマニヨン人はサピエンスね。

これ、あれかな。教科書の「猿から現代人までの進化の図」がいけないのかな。ちゃんと見ていないけれど、猿人やら原人やらが徐々に直立歩行するような描き方をされていて、多分クロマニヨン人が途中にいるんだと思う。これが、クロマニヨン人とネアンデルタール人がちゃんと理解できていないから、正確な理解につながらないのかもしれない。と一瞬思ったんだけど、どうなんだろう。

なんで進化論の話になったかというと、たべものRadioで料理の進化を辿るからなんだ。スシもそうだったけれど、いろんなスシに変化してるんだよね。もうびっくりするくらいに変わる。それも、広範囲に広がっていって、その土地の環境や社会に合わせて変容していく。

それぞれの個性で変容していくんだけど、どこかのタイミングでぶつかり合う時があるんだ。例えば、戦後に江戸前の握り寿司文化が全国に拡散するとか。そうすると、その地にあったスシが弱体化してしまう。さすがに消滅まではしていないだろうけれど、しかかっている文化もある。ね。なんだか似てないかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。進化論というと、常に進化しているという感じで捉えられる。ホントは変化なんだろうね。いろんな個性があって、多様性を担保しているってことは、種の生存戦略的として必要なことなのだ。ということか。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

-エッセイみたいなもの
-, , , ,