エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 会席料理にはメインがないわけ。 2022年5月11日

2022年5月11日

3日連続で話を続けている。これは、そのうちに「たべものRadio」で話をしたほうが良いのかもしれない。その際は、ちゃんと原稿を書くか。

今日は、宴席での食事の話だ。ここが実は決定的に違う。それこそ、たべものRadioの日本酒のシリーズを聴いてもらいたいところなのだ。日本では、酒を飲むのは特別な日だけだった。という歴史がある。結局、なんだかんだと理由をつけて飲み会を開くんだけどね。それでも、なにかしらの理由があったのだ。そして、基本的に一人で酒を飲むということはなかった。

だから、「酒宴のための料理」というジャンルが生まれていったのだ。

一方でヨーロッパでは、お酒を常飲していたという背景がある。ワインやビールだ。水をそのまま飲めないからね。水分摂取は、とにもかくにもお酒なのだ。普段の食事のときにも、ワインかビールがセット。キリスト教会で、「パンとワイン」がセットになっているのはその名残だという。

だから、わざわざ酒宴のための料理を作ることをしない。言ってみれば、いつでも酒宴なのだ。

ホントはあるんだけどね。映画でも見たことないかな。立食パーティーみたいなもの。あれが、酒宴のための料理なのだ。まぁ、その歴史は浅く近代以降に発展したものらしいのだけど。

さて、お酒を楽しむための料理となると、主役のポジションが変化する。あくまでも、酒が主役になるからだね。そうなると、「主食+汁物」というメインの出番はない。だから、おかずだらけになるわけだ。今でも飲み会のときはそうだよね。

日本人にとっては当たり前だけれど、これは独特の文化なのだ。ヨーロッパ対比だけど。

ヨーロッパでの飲み会は、食事と切り分けられていることが多い。食事は食事。その間もお酒を楽しむけれど、お酒だけを楽しむのは別の店だったり、デザートの後だったりする。食事を完結させてから、改めて飲みに集中するというスタイルだ。

大雑把に、酒と料理の関係をつかんだところで、やっと会席料理の話に入る。長かったなあ。Radioの原稿に比べれば短いし、表面をさらっているだけなのだけれどね。

いわゆる会席料理。これは、俳諧の席で供されることから始まったと言われる。俳諧と限定すると、江戸時代以降になってしまうから、歌会という方が正確なのかな。上の句と下の句を交互に詠んで、歌を繋げていく連歌だ。貴族や金持ちの風雅な遊びとして定着していったわけだ。でね。こういう遊びの後には、じゃあお酒でも飲んで楽しみましょうということになる。一杯やりながら、あの歌は良かっただの、こういう連句も良かったかもしれないだのと、遊びの延長を楽しんだのかもしれない。

この場での主役は、遊びについて話すことであり、人と人とのコミュニケーションである。その媒介になるのが酒。そして、その酒をすすめるのが料理だ。日本の酒は、かなり古い時代から米から作られた清酒である。米だからね。もう、ご飯の出番はないわけだよ。酒のための「おかず」が「数々並ぶ」ということになる。だから、全てがフラットな関係のまま色とりどりに並べられるわけだ。ヨーロッパ風に言えば、アラカルトの連続。アラカルトにメインなんて無いでしょう。そういうことなのだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。水、食料、気候、経済、社会形成、外的影響など、いろんな要因が絡み合った結果、こんな違いになっているんだろうなあ。詳細はこれから勉強し直すから、もしかしたら一年後には違った解釈をしているかもしれないけれどね。大筋はこんな感じで、日本の食文化は形成されているのだろう。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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