エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 日常生活でやめていったこと、定着したこと 2022年6月5日

いつのまにかしなくなったことがある。そういうことって人生にはあるよね。やりたいけれども諸事情によりやらなくなってしまったこと。それから、意識せずにそうなっていったこと。飽きてしまってやらなくなってしまったこと。それぞれにある。

以前サラリーマンだったころは、通勤電車の暇つぶしにスマホゲームをやっていたんだよなあ。面白いって感じていた時期もあったけれど、惰性でなんとなくやっていた時期もあった。そのうちに、なんだか虚しくなってしまって、ある日全部のゲームアプリを削除したっけ。この時間なんだろうって。それからは勉強したり、記事を読んだり、外を眺めたりするようになった。下を向いてゲームに夢中になっているより良いかもって。なんだろうなあ。ゲームが悪いとは思わないんだ、今でも。面白いし、役に立つことだってたくさんある。ただ、なんだか飽きてしまったんだろうね。

そういえば、どのパターンにも当てはまらないことがあったよ。テレビ。別に完全に生活から排除されてしまったわけじゃないんだけどね。テレビを見る時間がメチャクチャ減ったかも。朝、出勤前に少し見るくらい。子供が幼いから、ほとんどはEテレかな。おかあさんといっしょとか。時々は朝の情報番組とか。

生活のほとんどの時間はお店にいるからね。朝意外でテレビを見る機会なんて無いんだ。休みの日は家族で過ごしたいから、ほとんどテレビをつけないし。なるべく外出するようにしているからね。

スマホはかなり触れる機会が多い。情報を得るのも、メールを見るのも、メモをとるのも、だいたいスマホかな。情報を得る場合はニュースやSNSが多いか。けど、ぼくらの職業ではあまりスマホを触ることもないかもしれない。調理中にスマホをいじっているわけにもいかないからね。

調理以外の時間はといえば、PCを使用している。今もこうして文字を入力しているわけだ。ほとんど電車移動の無い生活になって、スマホをいじる時間は相当少なくなったほうなんだろうなあ。それでもテレビよりは多いけれどね。

Radioはメチャクチャよく聞いている。FMも聞くし、ポッドキャストも聞く。最近ではポッドキャストの方が多いよ。最近は面白いポッドキャスト番組が増えていて、今まではあまり触れてこなかったジャンルの話をよく聞いている。

バラエティ番組みたいなものももちろんある。そういう番組を聞くこともあるけれど、なにかしらのジャンルに偏っている番組や、パーソナリティが偏っている人の番組が面白いと思うんだよね。

ポッドキャストの再生回数ランキングを見てみると、とにかく笑って欲しいという作りの番組はあまり上位に登場しないように見える。いわゆるお笑い番組みたいなもの。なんだろうね。不思議だよなあ。テレビやユーチューブとはちょっと違う感覚があるんだよ。

音声メディアってさ。個人と個人の繋がりみたいに感じるんだ。私に向けて喋っている感覚。対してテレビだと、みんなに向けて喋っている感じがする。ぼくはみんなという塊の中のひとつ。

だからこそ、フィーリングの合う番組に傾斜していくのかもしれない。より、個人の好みが反映された番組。好みっていうのは、聞く人の好みでもあり、発信者の好みでもあり、両面が合致したポイントに楽しさとか面白さがあるんじゃないだろうか。なんて、よくわかりもしないのになんとなく分析めいたことを書いてしまった。

情報量が多ければ多いほうが、より多くの情報を得られると思っていた。それが真実なら、耳と目の両方からの情報があるほうが良いに決まっている。だけど、聴覚だけのほうが良い場合があるってのも事実なんだってね。ホントに面白い。

今日も読んでくれてありがとうございます。耳学問で学ぶこともあるし、書籍を教えてもらって購入して学ぶこともある。自分の外側との接点が、音声っていうのも面白い。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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