ドライブしているときに、妻とくだらない話で爆笑していた。ホントにどうでも良い話なんだけどね。
最近「生」って流行っているよね。ここから会話が始まった。ついうっかり、正論を吐きそうになった。最近じゃなくて、昭和後期頃からビジネス上で活用され始めた歴史があるからだ。だけど、野暮だなと思って、それは封印した。知識をひけらかして、ぼく個人が感じている「個人的な正解」を押し付けてもしょうがないからね。会話にならないのだ。目的は、会話を楽しむことそのもの。ツッコミなんてつまらない。
そうだよね。たしかに「生○○」って多いよね。どんなのがあるかな。生クリーム?確かに生っぽい。生食パン?いやいや、生じゃないでしょう。パンなんだもの。焼いてない生のパンなんて食べられないわ。生シュークリームとか、もう全部ドロドロじゃん。
え?生卵?それは生だよね。中間は、半熟卵。この半熟も変だよね。ゆで卵の半熟ってさ、黄身がとろとろじゃん。じゃあ、黄身まで硬いゆで卵って完熟なのかって。半熟とか完熟ってフルーツとか野菜の話でしょ。フルーツの場合、完熟のほうが柔らかいのよ。柔らかいほうが半熟ってどういうことよ。
生魚、生肉、生クリーム、生酒、生写真、おや?生写真ってなんだ?メチャクチャだよね。じゃあ、車に生ってありうる?いや、目の前に車が見えてるからって、生車って。じゃあ、焼き車とか揚げ車とか、そんな馬鹿な。
テレビで見ている人に直接会うときも「生」っていうよね。なんだこれ。生の意味がわけわからん。人間なんて全員「生」に決まってる。焼いたり揚げたりしたら死んじゃうんだから。生放送なんて、もっとわけわからんよ。あれは、ライブを無理やり日本語訳したんだっけ?
生麺って、麺類は茹でてください。あ、あれは乾麺と差別化するための生か?
そもそも「生」って、どういう意味で使ってるんだ?加熱していないものという意味で捉えてたけど違うんじゃ。加工していないもの?感想加工していないから生麺?生茶は?あれは、生じゃないよね。思いっきり加工しているもん。飲み物に加工している。
とまあ、どうしようもない話をかぶせにかぶせまくって、ただただ笑い飛ばしていただけの話。揚げ車ってなんだよ。そんなデッカイものが油で揚げられるかって。
ツッコミいらんね。会話って。ボケ倒してかぶせまくったら良い。充分だ。
この会話、気がついたら意外と深いところまで行ったよね。最終的に、現代語の中での「生」の解釈について考え始めちゃったんだもの。ありとあらゆる用例を引っ張り出してきてさ。それがオッケーなら、この用法もイケるか?なんてことをしてる。生食パンが許されるなら、生焼きそばも許されるか、なんてね。行けそうじゃん。だったら、生茶碗蒸しは?これは無理っぽい。とか。
生々しいって、どういう表現方法だろう。あんまりいいイメージ無いよね。刺し身をみて生々しいねとは言わない。美味しくなさそうだ。同じように、水をみて瑞々しいとは言わない。瑞々しいのは、果物や野菜が水分をたっぷり蓄えている様子だ。この用法に習って使うと、生々しいステーキという表現がよろしかろうということになる。当然レアだ。美味しくなさそうだ。
肉といえば、最近では肉肉しいって表現するよね。ムチャクチャな日本語が登場したものだ。だけど、先例に習うなら、肉に使っちゃダメなんじゃない?この豆腐は肉肉しいね。が正しいってことになっちゃう。
ゲラゲラ笑いながら、メチャクチャなことを言い合っているだけなんだよね。なんだけど、どちらもツッコまない。それどころか、かぶせまくっている。正しいっぽいことも言わない。だから、話がどんどん展開していく。こういうのが良いよね。
今日も読んでくれてありがとうございます。誰かの「正しい」を言い出したら会話は止まる。止まると、発想が広がっていかない。広がっていきさえすれば、思わぬところで深い話になることもある。ならないこともある。ボケにはボケをかぶせるのが、学びを深めるコツなのかもしれない。