エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「おいしい」ってどういうことだろう。 2021年11月17日

2021年11月17日

「おいしい」ってどういうことだろう。こんな問いに明確に答えるのはナンセンスかもなあ。と思いながらも、今日はそこに言及してみようと思う。

「おいしい」という感覚を、おいしいという言葉を使わずに言語化するのって意外と難しいよね。もう、温かいとか寒いとか、そういう感覚に近いんだ。ほら、室内の空調でもそうでしょ。人によって感じ方が違う。同じ温度なのに、丁度いいという人もいれば暑いと言う人もいる。家族の中でも当たり前のように起きることだ。
「おいしい」という感覚も同じことなんだろうと思う。人によって差があるよね。

例えば、脂の乗った和牛を美味しいという人もいれば、一方で脂が強すぎて好きじゃないという人もいる。なんとなく「みんなが美味しいと言っているのだから、これが美味しいはずだ」と思い込まされているようなところがあるのかもしれない。実際、歴史を紐解くとそういう時代がある。中世ヨーロッパでは、スパイスまみれの超強烈な味こそが美味とされていた時期すらある。美味しくないと思うよ。レシピを見ただけでも再現する気が失せるくらい。だけど、社会通念としてそれが最高とされていた社会が存在していたんだ。びっくりするよね。

ぼくらが、美味しいと思っているものですら、もしかしたら未来のどこかでびっくりされるかもしれないじゃない。そういうこともひっくるめて「美味しい」ってなんだろうと考えると、頭の中がぐるぐるしてくるんだよね。

一人の人間であっても、昨日の自分と今日の自分は違うってこともある。細胞レベルで言ったら一部は入れ替わっちゃってるから、物理的に違う存在になっているんだから。という話をすると妙な方向に行くか。やめよう。とにかく、気分で変わるってことを言いたい。体調でも変わる。
疲れているときは、少し濃い味付けのものが嬉しかったりする。深酒をした次の日なんかは、味噌汁こそが最高のご馳走だったりするし、季節の変わり目なんかは酸っぱいものが美味しく感じたりもする。

誰と一緒に食事をするかによっても変わるだろうし、どんな場所か、シチュエーションかによっても変わるんだろうね。外で食べると美味しいね。って、遠足に行ったときにはよく聞くセリフだ。素敵な庭の見える料亭や、夜景のキレイなホテル。何でも良いのだけれど、そういうのも含めて「美味しさ」の基準が変わる。

さて、そろそろ「美味しい」の定義を考えたいと思っているのだけれど。これって相当難しい。全然言語化出来る気がしないんだよ。

ひとつ言えるのは、自分なりの「おいしい」という感覚を手に入れるには、色んなものを食べるしか無いんじゃないかということだね。どんな料理でも良いのだけれど、とにかく色んな料理をいろんなパターンで体験する。そうすると、比較対象が増えていくからさ。そのなかから、少しずつマイベストが定まってくるんだと思うんだよ。

幸せとか心地いいとか、人間の感覚って定義するのは難しいよなあ。やっぱりナンセンスな行為に思えてきた。言語を超えた直感で定義されているもの。そんな程度の感覚のままで置いておきたい。

今日も読んでくれてありがとうございます。料理屋というのは、色んな人の色んな「おいしい」を集めてみて、最大公約数を取るという仕事も含まれる。もちろん、その主軸は作る人の「おいしい」をベースにするんだけどさ。そのうえで、ちょっと調整して個々に合わせていく。って感じなんだろうなあ。料理じゃなくても仕事ってそんなもんかもね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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