エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「たべものラジオ」こぼれ話。反省 2022年1月19日

2022年1月19日

「たべものラジオ」のこぼれ話です。

たべものラジオで意識していることは、ひとつのテーマに絞りつつ「なんでこうなった?」とか「そんなことホントにあり?」という問いを立て続けること。
問いを立てるというと大仰かな。
「胡椒1gと金1gが同等だったって、そんなことある?」とか「静岡がお茶の国になったってなぜ?京都じゃないの?」とか、「世界と比較して日本の米文化ってどうなのよ」「総理大臣の一言で数百年のふぐ禁止令が解禁されるなんてことあり?」だ。

そういう意味でいくと、先日までの「ビールのシリーズ」は反省だなあ。
ほとんど「ビール学」みたいになっちゃってたもの。最終的な着地もふわっとしてた。それ以外にも、解像度高くやろうとして、やたら細かいことになって、これじゃ学校の授業みたいじゃんという反省もあった。

構成って大事だ。
お米のシリーズは、しっかりと構成を考えてから原稿を書いたしね。
実際再生回数もお米のシリーズが伸びているらしいよ。

たべもののルーツを辿っていくと、問いを解消しようとすると、なぜか自然に経済的な話が多くなる。考えてみたら当然のことで、そもそも経済は食べものの蓄積と獲得から派生したものだからだね。

文化としてアーティスティックに、そして純粋に「うまい」を突き詰めていく人。
経済合理的にたべものを商品化していく人。
その両方のバランスを取る人。
たべものを消費する人。

その大きな流れの中で、どんな事件がきっかけになっていったのか。それは政治的な動きだったり、著名人の挙動だったりするわけだ。歴史背景や歴史のターニングポイントは、食文化の変遷のベンチマークでしかないということになる。

これをマクロ視点とすると、登場する人物たちの視点で見るとどのように見えるのか。どんな思いで行動してきたのかを見る。ミクロ視点。

そして、それぞれの時代で文化人たちは、事象の傍観者としての立ち位置にいる。

これらが絡み合って、最初の問いに対する解を考察していくこと。

たべものを通して、経済、文化、政治、人物から現代の食文化を見つめる。そういうことになるのかな。
ビールのシリーズで迷走したから、改めてちゃんと打ち合わせをしたところ、ここに至りましたとさ。

今日も読んでくれてありがとうございます。反省しつつ、次回のシリーズを楽しんでもらえるように精進します。って、料理じゃないところにも情熱を注ぎ始めてしまったね。楽しいから続けるよ~。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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