エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「たべものラジオ」と教科書の効用。 2022年2月1日

2022年2月1日

大人になってからは開くこともなかった教科書が、今になって大活躍している。もちろん「たべものラジオ」の参考文献としてね。

改めて読んでみると、これはとんでもなく良い本だなと思うのだ。

ところどころで、この解釈はちょっといただけないと感じることもあるし、こんなに短くちゃ意味がわからないじゃないかと言いたくなる部分もある。だけどさ、あのページ数でよくも世界史の外観をまとめきったなあと感心するんだよ。

学生時代は、教科書を「おもしろい」と思って読んだ記憶がない。ん?多少はあるかもしれない。それはさておき、教科書なんてものは学習教材としてしか見ていないし、事前情報なしに読んだところでほとんど理解できなかったと思う。

まあ、遠い思い出だから記憶が薄れているんだけどさ。

もしかしたら、教科書というのは「復習に向いている」のかもしれない。

ある程度知っている状態で読むと、再発見がある。全体像をすでに把握している状態だからこそ、ああこのポイントはそういう意味だったのかということに気づくことができるわけだ。

ということは、新しい学問に取り掛かる時は、違うアプローチが必要ということになるのかな。もともと興味がある分野だったら良いけど、学生時代の「お勉強」はほとんどの人にとってはそうじゃないんだよね。やらなくちゃいけないからやってるだけ。義務。

まず最初に、面白いとか楽しいとか、ポジティブな感情を持つところから始めたら良い。興味を持ったら、勝手に学習してくる人もいるだろうしさ。

歴史だったら、徳川家康が武田信玄にビビっておもらししたあたりから始めてもいいし、その時に放送されている大河ドラマから始めても良いんじゃないかな。ドラマや漫画をとっかかりに詳しくなっていく人もいる。ちなみに、ぼくは漫画「花の慶次」とかゲーム「信長の野望」でハマった

高校時代、化学の授業がとてもおもしろかった。もうほとんど覚えていないけれど、とても良かったんだ。

例えば分子結合とかメチル基の解説の時、授業の冒頭は「意味なんかわからなくていいから概略やるぞ」で15分くらい。その後は、お酒の作り方の解説と味の話。ぜったい自分でやるなよ、未成年だから飲むなよって言いながらね。

で、こういう化合物が酔っ払う原因になっていて、この部分が二日酔いの原因じゃないかと言われているということを言われる。その後で、最初の概要にもどってさ。ほら、メチル基が一つ違うとエタノールがメタノールになっちゃうんだよ。メタノールは毒だからね。保健室にあるメタノールなんて飲んだらダメだからな。みたいな話。

ときには、授業で使うもちものが「お菓子の袋」だったことがある。裏側の○○酸とか書いてあるのを化学式になおしていって、こりゃあ体に良くないなとか。このお菓子とこのお菓子を混ぜて、水溶液を作って化学反応したらこうなるとか。もうわけわからん。だけど、それが面白くて自分の手元にあるお菓子の袋を勝手に読み解くようになったんだよ。

変わった先生でさ。受験までにはちゃんと元素の周期表を覚えておけよって、テストでも必要だからなって言うんだけど。けっこう長い期間はテストに周期表を載せてくれていたんだよ。授業中も周期表なんか「見ればいいから」って言ってたのね。

だけどさ。ぼくらからるすと、面倒くさいのよ。あれこれ面白くていろんなことを勉強していくうちに、いちいち周期表を探してられないの。だったら、このくらいは覚えちゃったほうが早いじゃんってね。

そうなんだよ。必要なんだけどいちいち引っ張り出したり、一つずつの具体例を考えるのは面倒くさいなってなると、人間は勝手に便利なものを使おうとし始めるんだよ。面倒くさいから。

こういうことの繰り返しが「抽象化して考える」ことの訓練にもなったのかもしれないなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。「たべものラジオ」が「料理を楽しむ」「食文化に親しむ」ことの入口になったら良いなと思っています。そういう意味では、情報量が多すぎるかもなあ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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