エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 「会社」ってなんだと思う? 2021年4月9日

会社ってなんだろう。というようなことを聞いてみると人それぞれに違った答えがあって面白い。世の中にたくさんある「会社」ってなんだと思いますか?

ぼくがまだ若かった頃は「家」というものに近い感覚だった。建物のことじゃなくて、江戸時代の○○家のことね。お家が大事とか、お家のためにとか、そういうセリフを時代劇で聞いたこと無いですか。あれです。その家というものが何なのか言語化するのは難しいんだけどさ。なんだろう、個人の集まりというよりも家という概念の構成員みたいなことなのかな。言語化出来ていないってことはちゃんと理解できていないということなんだろうけど。肌感覚で、会社=家という認識をしていたんだよね。それは、むとうが家族経営だからということも手伝っていたと思う。ただ、似たような認識の勤め人もたくさんいるみたいだったよ。サラリーマン時代に出会った人もそんな感じだった。

今は随分と変わった。会社というものを、もっとドライに冷めた目で見ている感覚があるんだ。

例えば社会経済的にみると、「モーター」くらいの感覚。世の中全体のお金を右から左へグルグル動かす為の装置の一つだし、モノやサービスを送り出すための装置でもある。だからね、社員や取引先にお金を回すために存在しているんじゃないかと思っている。極論だけど、お金を集めて人件費さえ払えれば会社に余剰利益なんていらないとも考えられるんだよ。もちろん、安定や成長といったものを見なければという条件はつくけれど。

あと、便利な器として見ているかも。「ゲーム機本体」とか「PC」とか、そんな感じ。色んな人が集まってゲームソフトをプレイするとして、それに便利な器というか枠組みというものだって考えているだよね。だから、「一緒にプレーする人がゲームを楽しむために」ということが目的になっていて、さっきの「家」というものとは全く違う感覚なんだ。
でね。このゲームは自分でルールを決められるのね。「これが出来たらクリア!」っていうのをね。今は「食事を通してお客様が豊かな時間を過ごして、ぼくらが嬉しくなったら勝ち」っていうのがルール。他にも「地場食産業の経済流通が良化したらクリア」とか、「掛川市が活性化したら勝ち」とか、そういうゲームソフトが同時にあって、それに見合った事業を動かしているということもある。

こうやって見ると、「家」と考えていた時のほうが血が通っているような印象があるかもね。だけど、ドライな感覚になってからの方が、ぼくにとっては軽やかで動きやすいのよ。便利な箱を使い倒すみたいな感じで。

ぼくもプレイヤーのひとりで、一緒にゲームを楽しんでいます。あ、ゲームって表現するとまずいかな。事業のことだからね。あしからず。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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