接待のコツみたいなことがある。なんてことを口走ったものだから、テクニック的なものを想像してしまうような誤解を与えてしまったみたいです。コツと言うか、まあ接待とか会食の根本を考えていくとこういうことになるよ。という話なんだけどね。
とはいえ、知っておいて損はないと思う。人という動物が無意識のうちに感じること、普遍的なことは食事というものの成り立ちを知っていれば想像がつくだろうから。そこから導き出される行動は、自然に相手に受け入れられやすい状況を作り出すことに繋がるでしょう。
昨日は、まずは「ちゃんと食べてちゃんと飲む」ようにしましょうという話だった。会食なんだから、食べたり飲んだりしなくちゃ、ね。そもそも会食が成立していないでしょ。なぜ会食を成立させることが接遇と繋がるのかは、昨日のエッセイに書いたのでそちらを見てもらえると多少は伝わるかと思います。
で、その次。
仕事や身の回りの話が中心になるのは、接待である以上は当然だよね。むしろ、互いの趣味の話や休日の過ごし方、職場のおもしろエピソードなんかが会話にあると、大いに盛り上がる。それによって、仕事のなかの業務的な部分みたいなものからはつかみ取りにくい「人間性」や「考え方の癖」みたいなものがわかる。わかると、お互いのコミュニケーションは深まる。
まれに、仕事の立ち入った話しかしない場合も見受けられるようだ。うちの店のお客様がどうだというのではなくて、一般的にそうらしい。必要なことで、互いにそれでよければ良い。ただ、ぼくが接待の場に参加する人間だったら、もっと違う側面を交換するかなあ。事業や仕事から読み取れることだったら、会食なんかしなくてもいいじゃない。ロジックはメールでも電話でも伝わるから。
どちらかというと、個人的な部分に立ち入って話をすることの方が好きだ。お互いの考え方や解釈が加わるようなこと。例えば、物語のこの事例はこう見えたというような解釈や、この部分が好きだというような感想でもいいよね。好きだというのであれば、趣味のこういう部分が好きなんだよねということが互いにわかりあえたら楽しい気分になれるじゃない。
楽しいかどうか、なんて抽象的なことを言っているようだけれど、そういう直感は大事だよ。人間が楽しいと感じるということは自分でも把握できないくらいの細かな情報を読み取って、楽しいという感情を導き出しているのだから。実は、そんじょそこらのコンピューターが出来ないくらいの演算を短時間で行なって、その解だと思っても良い。
ホントはここで、食べ物や飲み物の話をするっと差し込めると上級者だよね。前述したけれど、食事がコミュニケーションの根幹なんだからさ。いま私たちは共食してますよ、ということを印象づけることが出来ると、互いの距離が近づきやすいよね。デートでも一緒だよ。
あ、そうそう。さっき例え話で「物語」を挙げたけれど、歴史なんかもいいよね。普段は使わないだろうけれど、エグゼクティブと呼ばれる富裕層や経営者たちは基礎教養として知識があるものだ。古典の名著や歴史についてさらっと知っていて当然という感じで会話がなされることもある。そのへんは要約版でもいいから目を通しておいたら、更に上級者だね。
今日も読んでくれてありがとうございます。食べ物の話をすると大抵の場合は盛り上がるんだよね。特に好きなものの話だと、食にまつわる思い出話だったり家庭での食事まで話が発展したり。嫌いなものは、ちょっとテヘペロな感じで使う分には愛嬌があっていいけれど、それは多用すると残念に思われるので要注意かな。