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今日のエッセイ 「端午の節句」が「こどもの日」になるまで。 2022年5月5日

2022年5月5日

今日は「こどもの日」。端午の節句だ。日本では、今日5月5日が端午の節句ということになっているけれど、中国文化圏では旧暦でお祝いしているところが多いみたいだね。そして、子供のお祝いだということもないらしい。言われてみればその通りで、端午の節句にはそんな意味はない。

端午の節句が子供のお祝いになったのは、鎌倉時代以降のことだと言われている。端午の節句には、菖蒲がよく用いられるよね。菖蒲酒とか菖蒲湯とか。この菖蒲が尚武と同じ読みだということから、武士社会では縁起がよいということになった。菖蒲の葉は剣の形に似ているしね。

縁起がよいということになれば、子供もそれにあやからせたいという気持ちにでもなったのだろう。武家社会であれば、家を継ぐ息子の成長を祝い、健康を祈るということになっていった。

実は、この菖蒲が端午の節句とこどもの日を繋いでいるアイテムだ。端午の節句において、菖蒲は重要なポジション。ひな祭りが桃の節句と言われるのと同じように、端午の節句も菖蒲の節句なのだ。あまり知られていないけれど、菖蒲は薬として珍重されてきた。今でも漢方薬には用いられるしね。胃を健康にする効用があるらしいよ。

菖蒲湯はとても良い香りがする。内服するにはとても苦いし、マズすぎて気持ち悪くなるらしいから、風呂のほうが多かったかもしれないね。血行促進、冷え性、肩こり、疲労回復に効果がある。ということだ。

日本では奈良時代には菖蒲が端午の節句に用いられるようになった。中国に至っては、もっと古いらしくていつ頃から菖蒲が用いられるようになったのかはわからない。歴史が相当長いということだ。もともと。薬用だけじゃなくて、魔除けにもなっていたらしいのだ。剣の形をしているし、爽やかな香りがあって、魔除けの効果があると信じられていたそうだ。

端午の節句について調べると、「薬草」だとか「薬玉」という表記が多く見られる。日本でも貴族の間では薬玉を贈り合っていたらしいし、その風習は古代中国にまで遡ることが出来る。

ちなみに薬玉というのはクスダマのことだ。現代では、お祝いの時にパッカーンと割れて中からいろんなものが飛び出してくれる玉になっている。もともとは、薬草や香草などを入れる袋のことだ。貴重な薬草などを貴族の間で贈り合う時、キレイな袋に入れた。その袋もまた花などで飾り付けれられ、五色の糸を垂らしたような凝った飾りになっていった。という代物である。

端午の節句のいわれは、午の月のハシ。十二支の午(ウマ)だから、7番目。午には草木の成長が極限を越えて、衰えの兆しを見せ始めるという意味がある。つまり午の月は、衰えの始まりなのである。一節には旧暦の夏至に起因するとも言われている。夏至は最も日が長い日だけど、これを堺に短くなっていくよね。だから、太陽の力が衰え始めるタイミングでもあるということだ。

ハシは端。つまりは、はじめ。午の月の最初の午の日。中国語では午を「ウー」と読むらしい。五も同じ発音なので、これが5月5日に変じたというわけだ。

勘のいい人なら気が付いているかもしれない。衰えの兆しを見せ始めるときだからこそ、魔除けとか健康促進とかに意識が向くのだ。

ここから、薬草に繋がり、その中でもこの季節に適していた菖蒲が主役の座に据えられた。菖蒲が主役になったからこそ、尚武という音に繋がったし、それは武家社会が日本で発達したからだ。江戸時代には男の子との節句として武士以外にも普及していったのだけれど、現代になって男女平等になりこどもの日ということになった。なんともスゴイ変遷を辿ってきたものだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。端午の節句といえば柏餅だけれど、実は特に関係がないのだよね。そもそも柏餅の登場は18世紀後半なのだ。端午の節句の長い歴史から見れば短い歴史だ。端午の節句にはチマキが伝統的だから、その代用品として使っているうちに定着しちゃったのかもしれないな。想像だけど。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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