エッセイみたいなもの

今日のエッセイ いつもとちょっと違う日 2021年5月24日

2021年5月24日

世の中にはいろんな記念日があります。どの記念日もどこかの誰かには特別な意味があるはず。だから、毎日が誰かにとっての特別ということだよね。そんな特別の時間をどんなふうに過ごすのか、皆さんはどうでしょうか。

掛茶料理むとうを訪れるお客様のうち、半数くらいは「特別な日」かなあ。お祝いだったり、その逆だったりといろいろだけど。いつも通りじゃない何かの意味を持っているから、わざわざお店に行くっていう方が半数近い。日本では昔から「日常じゃない日」のことを「ハレ」と呼んでいるよね。時々勘違いされるけど、「ハレ」の日は祝い事じゃなくても「ハレ」だからね。

「ハレ」の日はどんな過ごし方をするんだろう。日付そのものが特別だから、行為も特別なことをしようとするよね。何かしらの儀式を伴うこともあるし、ちょっと遠くへ出かけてみたり、ちょっと豪華な食事を用意したりする。元々なんでもない日だったはずなんだけど、何かのきっかけで特別な日になった。だから、一年後の同じ日に特別を演出して味わうということをする。考えてみたら中々に興味深い行動かもしれないな。世界中の人が全員同じように考えているのかは知らないけれど、けっこうたくさんの人が「ハレ」を演出してるんだよね。実に興味深い。

記念日じゃなくても「日常じゃない行動」をした日は「ハレ」になることもある。例えば旅行やコンサートなんかはわかりやすい。同じような感覚で掛茶料理むとうに来店する方も多い。映画館にでも行こうか、というのと同じような感じで、むとうに行こうかという会話がある。そうすると、もう日常から少し外れていくんだね。そしてプチ「ハレ」の日になる。

そういうことがあるから、料理も部屋の設えも「常にハレを感じられる」ように用意しておく。それが料亭の役割のひとつかもしれない。普段の外食は定食屋さんやラーメン屋さんという人が料亭に行くというのはそういうことだ。普段から料亭に行くという人は「ハレ」の日はどうするんだろう。というと、ラーメン屋さんに行くのかな。そういうわけでもないか。どうだろう。知らん。

料亭は建物の設計の時点で、なるべく厨房の音が客間に届かないように工夫されていることが多い。これも「ハレ」の演出。当然テレビも置かないし、雑誌も置かない。代わりに活花を飾ったり、庭を整えたりということをする。日常だったり生活感だったりをどんどん排除していって、その余白に非日常の楽しみを置き換えていくという感じなんだろうか。

そういう目線で料理を考えていくのがぼくらの役目なんだよね。日常では食べないものを、日常では食べられない美味しさで、日常では使わない器に盛り付けて。ということを考える。献立を考える時間が一番大変かもしれないなあ。

今日はぼくの「ハレ」の日です。ひとつ年をとりました。いつも通りじゃない行動はなんだろうなあ。一日中家族と自宅でダラダラとするというのは、なかなか無いことだけど、それが「ハレ」の日の演出かというとそうでもないでしょ。どうしよっかな。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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