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今日のエッセイ たべものラジオこぼれ話。脚気と精米機 2021年10月30日

2021年10月30日

たべものラジオからこぼれた話です。お米のシリーズの中で、胚芽米についてはほとんど触れなかった。だから、ちょっと胚芽米についても紹介してみようかと。そもそも、胚芽米ってなんだ?

お米って、籾殻をとると「ぬか」と「胚芽」と「白米(胚乳)」の3つで出来ている。普段ほとんどの人が食べているのが「白米」の部分ね。当然、一番外側に「ぬか」があるのだから、「ぬか」を取り除けば「胚芽」と「胚乳」が残るはずなんだけれど、そうカンタンにはいかないんだよ。「ぬか」を除去しようとすると、「胚芽」も一緒に取れてしまうから。手作業でやってもポロポロと剥がれてしまう。機械式の精米機で精製すると、いともカンタンに胚芽が取れてしまう。
意外と「胚芽」を残すのは大変なんだ。

胚芽の部分は、栄養価が高い。例えて言うなら、タマゴの黄身に当たる部分なんだよね。胚乳は白身。胚芽から芽が出て、発芽のためのエネルギーになるのが胚乳の糖質部分。これが人類のエネルギー源になっているわけだ。でね。胚芽の栄養素に気がついたヒトがいたんだよ。
東京大学医学部の島薗順次郎教授。
昭和の初めころの話だ。

江戸時代に脚気が流行していたことはラジオでも話したのだけれど、実は明治維新のあとも脚気はおさまらない。明治時代の大きな戦争で日露戦争があるよね。このときも脚気に悩まされている。110万人の兵士が従軍していて、傷病者35万人なんだけど。このうち21万人が脚気にかかっている。6割は脚気。2万8千人が脚気で亡くなっている。大正時代も脚気による被害は続いていて、毎年2万人が亡くなるという状況だった。当時は伝染病の一種だと考えられていたのだけど、決定的な解決策が見つからない状態だった。これに終止符を売ったのが。島薗教授。昭和7年にビタミンB1の欠乏が原因であることを臨床的に証明する。

その前から、米ぬかに含まれるビタミンB1が脚気の治療法に有効だということを発見していたヒトがいた。だけど、鳥での実験だけで証明されていなかったんだ。島薗教授はそれを証明したわけだけど、証明される前から「脚気対策には胚芽を食べると良い」ということを提唱していたんだよね。「胚芽米常用論」と銘打った講演なんかもやっていたようだ。

昭和3年1月。島薗教授の講演会の参加者の中に、一人の米屋さんがいた。朝日胤一(あさひたねいち)だ。朝日さんは島薗教授の話に感動して「胚芽米こそ脚気病の苦しみから国民を救うものだ!」と確信する。このパターン。あるよね。誰かが思想を打ち出して、それに共感した別の人が動き出す。朝日さんもその一人となった。大きな志のもと、胚芽米の製造販売に執念を燃やすことになる。
島薗教授に指導してもらいながら、機械精米で胚芽米をつくるための工夫をし始めるのだ。大学病院に精米機をもちこんでいろいろと試したらしい。

朝日さんは機械式精米機メーカーの佐竹利市さんとは懇意だったから、その情熱を打ち明けると二人は意気投合して、一緒に開発を行うことになる。

佐竹利市は機械式精米機の発明者だ。彼が発明するまでは全て人力で精米していたのね。足踏み式とか。けっこうな重労働で効率も悪かったから、なんとかしたいと志したのが、なんと15才の時。激動の青年期を超えて33歳になってようやく念願の発明活動を開始。1896年に動力式精米機を発明して佐竹機械製作所を創立したという人物だ。佐竹の精米機のおかげでお米文化は大きく変わったし、胚芽米だけじゃなく日本酒に「吟醸酒」の誕生という革命を起こすことになったんだよね。

ちなみに佐竹機械製作所は現在もある。株式会社サタケという広島の企業だ。現代においても、精米機を含む食品加工機械の製造販売を行なっているし、その業界では超有名な企業だ。

今日も読んでくれてありがとうございます。日本人の脚気との戦いは、長く厳しいものだったんだよね。数百年に渡って悩まされ続けたんだから。こういう背景が幕末から明治維新にあったということがわかると、歴史の見え方が1ミリくらい変わるかも。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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