エッセイみたいなもの

今日のエッセイ どうなる「ご飯」?食文化ジャックされた日本 2021年6月11日

2021年6月11日

お米の消費量が減るきっかけのひとつに、洋食文化の浸透ということがありました。実はここに「国家としての思惑」が紛れているということをお伝えしたいと思います。

前回までに、昭和37年の一人あたりの年間消費量が118kgだったのが、平成30年には53.5kgになったってことは書いたね。これは1日で5.4杯食べてたのが、今は1日2杯ちょっとになったということ。もう3食がご飯じゃないよってことだね。
こうやってお米の消費量がガンガン減少している間に、肉類と乳製品はずっと伸びている。これが株価のグラフだとするとぞっとするよ。ちなみに、肉類は7.6kgが31.6kgで4倍以上、乳製品28.4kgが91.3kgで3倍以上の伸び率だって。こうやって数字だけ見ても食生活が西欧化してる雰囲気があるね。

もう一つ興味深い数字があってさ。それは、お米とパンの購入金額を比べたものだ。一年間で一世帯あたりいくら購入してるのかってことね。10年前のデータなんだけど。お米が27,428円で、パンが28,318円。この2011年が初めて逆転した年なんだって。これは国としても焦ったみたい。農林水産省だって、わざわざお米をピックアップして特集するくらい。それくらい国の産業としても文化としても重要だってことは認識してるんだね。

だけど、この状況を作るきっかけになったのは国の政策だったのだから皮肉だよ。昭和30年代前半くらいから、国家が「お米じゃなくてパンを食べよう」と先導してきたんだもん。政府自らが「コメと野菜では日本人の身体は強くならない」って言ってね。パンや肉や乳製品を食べる「食の西欧化」を奨励し、推進したんだ。その中には「米農家を他の産業へ振り替えるための政策を大々的に実施した」という、今では考えにくいものも含まれている。
60代以上の人たちは知っていると思うけれど、この時代の学校給食はパンしか無かったんだよ。日本の給食なのに、ご飯を排除してきたという歴史がある。ちょっと今の感覚だと信じられないかもね。

日本が給食という制度を始めたのが戦後のこと。その給食制度を日本に持ち込んだのはアメリカ。だから最初はパンから始まるのはしょうがない気もするんだよ。戦後しばらくは「国内の食料が足りない」状態だったんだから。子どもたちに満足な給食を提供するためには「アメリカから小麦粉を輸入する」しか無かった。ちなみに、給食制度が開始するのが1947年、つまり終戦から2年後。日本が再独立するのが1951年だから、まだアメリカの支配下にあった時期だしね。「アメリカがアメリカの領土で制度を整えた」という捉え方が近いかもしれない。

これが、なんと1976年まで続くの。「給食はパン」が30年くらい。60年代に一部の地域で米飯が提供されていたらしいんだけど、「パンを提供することが困難な地域は、米飯提供事業者として登録申請が必要」ということだからね。よほどのことがない限りパン主体の給食になるよ。

「国家としての思惑」というのはふたつの理由があると言われている。ひとつは、先程書いたけれど食料が足りていないということ。これはもうしょうがない。もうひとつは、アメリカの食料が余っていたこと。いろんな農産物が大量に余っていたんだけど、その中でも最たるものが小麦。アメリカ側から見ると日本に買ってほしいんだよね。給食だけじゃなくて、一般市場でも買って欲しい。買ってもらうからには市場のニーズがなくちゃいけないので、それを作っていったという極めて人工的な市場だったってことね。「栄養改善運動」といって、全国に洋食文化を広めるためのデモンストレーションが展開されていたという記録もある。キッチンカーで全国を回ったらしいよ。

アメリカが食料を売りたい。その市場を作るために考えた戦略がふたつ。一般市場に対して大きく広範囲の宣伝活動を行ったこと。給食という市場を独占したこと。
特に強烈だったのは、給食市場の独占じゃないかと思う。その期間の小麦の消費量を一定数確保できるのはもちろんだけれど、それ以上に刷り込み作用が大きかったんじゃないかな。この期間に給食を食べていた世代は、パン食洋食への移行に抵抗感が少ない。だから、その後のパン食文化の市場醸成のための下地になっていくでしょ。超長期戦略。そして、それがかなりのインパクトを残して今でも続いている。

一般企業の販売戦略と比較するとスゴイよね。普通はこんなことできない。なんでこんなことができたのかというと、日本という国家が全面協力したからね。そもそも法律で規制するなんてさ。一般企業にできるわけないもの。

人の交流が起きれば、食だけじゃなくていろんな文化が融合するのはしょうがないけどね。ミクロでもマクロでもそれは起きる。現に和服を来ている人なんかほとんどいなくなっちゃったし。そんなもんだと言えばそんなもんだ。だけど、これだけ短期間で文化を変えてしまっているのは、やっぱり国家のパワーが大きな影響を残したんじゃないかと思うよね。

今日も読んでくれてありがとうございます。次回は、ご飯が給食に復活していくところです。どれだけ国家の思惑が影響を作っても、現場の人たちだってやられっぱなしじゃいられない。教育の面からも生産者の面からも突き上げが始まるのだ。現場の底力の話ね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

-エッセイみたいなもの
-, , , ,