久しぶりにまちづくりの話です。昨日は、地元の中学校の学習の一部として講話をしてきました。テーマは「これからの掛川を考える。食からみたまちづくり」。まちづくりをライフワークとして、料理の仕事をしているぼくにはうってつけの内容です。だから依頼がやってきたのだろうけどね。
「そもそも、まちづくりって何だ?」というところから始めたんだけど。これが中々難しいよ。だって、いろんな大人に聞いても明確な定義を聞いたことなんかないもんね。だから、よくわからないまま言っていることもあるでしょ。
ぼくは、「普段の暮らしが幸せを感じられるように課題解決をすること」というような感じで受け取っている。じゃあ、幸せを享受するのは誰?ということになるのだけれど、それは「市民」だよね。市民の幸せは十人十色。だから、一概にこれが正解というのがないところに「まちづくり」の難しさと楽しさがあるんだと思っている。
ビジネスと同じように、「誰のために」「誰に向けてアプローチ」するのかをしっかり整理してから始めるのが良いよね。それから、同様に「ひとつの取り組みに、たくさんの目的を持たせないこと」が大切だ。ぼくがまちづくりの活動に参加していてよく感じることなんだけどさ。施策にチャチャを入れる人って、だいたいここがズレるんだよ。企業で言えば「売上を伸ばすための営業施策」で「工場の生産性向上」を求めているようなものだったりす。ね、変でしょ?目的が違うポイントなら、別の施策をやらなくちゃいけないよね。
このあたりが、「誰のために」と「誰に向けてアプローチ」にも繋がってくるところ。
こういうことを中学生向けに伝えたいのだけれど、どの程度伝わっただろうか。という不安が残っちゃったなあ。連絡先も伝えてきたから、必要があればいつでも質問には応えるつもりではいるんだよね。ただ、ぼくだってプロフェッショナルでもないし、絶大な成果を上げてきたわけでもない。中学生よりも少しばかり早く生まれて、歴史やビジネスの勉強で得たものをまちづくりに応用しているだけだ。正解なんてものは持ち合わせていないんだよね。参考程度にとどめておいてもらえれば良いと思う。
あ、そうそう。まちづくりに「~べき」は入れないほうが良いんじゃないかと思う。「掛川市民たるやこうあるべき」は疲れる。そんなまちにはぼくだったら住みたくない。先日の「制約」と「自由」のところでもファジーさがけっこう大事という話をしたけれど、「ゆるく、でもしっかりと前へ進む」というくらいのイメージが良いんじゃないかな。ハロウィンでまちを練り歩くパレードくらいの感じ。だって、あんまり規律でしばっちゃうと「楽しい」「幸せ」が苦しくなっちゃうでしょ。
何かを成し遂げるためのロジックは、丁寧にしっかりと組み上げる。だけど、参加するみんなが楽しく乗っかれるようにしておく。そうすると、達成するまでの時間は長くなるけれど、着実に長く続く「文化」や「風習」にまでたどり着けるんだというのが、ぼくのまちづくりへのアプローチかな。
今日も読んでくれてありがとうございます。