「タブー」ってありますよね。これが、法律で決まっていることも有るし、倫理観やなんとなくで決まっていることも有る。自分で自分に課していることもある。
タブーを破ることが「快楽」。そういう気質を人間は持っているのかもしれない。その一方で、自分で勝手に決めたタブーは、どういうわけか破ることが出来なかったりもする。
ちょっと極端な例だけれど、「肌を見せること自体がはしたない」という社会通念が存在していたとするよね。気分を害する人がいたらごめん。だけど、実際に中世ヨーロッパでは女性に対してそういう見方をしていたし、現代でもそういう社会は存在する。これがとても厳しい倫理観として「作り上げられた」社会の中では、足首が見えるだけで欲情するという現象が起きている。海水浴場なんかどうなっちゃうんだろうね。と現代人であるぼくらは思っちゃうけれど、これが中世ヨーロッパの「感覚」
こうやって社会のシステムとして作られた倫理観の元では、「ちょっとだけタブーを破る」とドキドキする。ちょっとだけ。足首を見せるとか、うなじがちょろっと見えるとか。それだけで「快楽」を感じるという研究が有るんだよね。
規制をすればするほど、それが破られるときの快楽に繋がる。ほとんど半裸で生活している社会の中では、欲情しないことでもあるし。言ってはいけな言葉とされているハシタナイ言葉も、こそっと使うと小さなコミュニティの中ではとても盛り上がったりもする。
小学生で、「うんこ」とか「ちんちん」とか騒ぎ立てる子がいるじゃん。あれって、駄目だってことにしているからあえて騒ぐんだよね。大人や周りが、ふつうのコトとして流したら言わなくなるんだよね。「こんにちは」と同じくらいのレベルでしか反応しなかったら、なんにも面白くないんじゃない?「タブー」じゃ無くなっちゃってるんだからさ。
たべものラジオの「ふぐ」のシーズンでも話したけれど、人間はもしかしたら「タブー」を破ることに「快楽」や「楽しみ」感じているのかもしれない。全然根拠がないんだけれどね。そういう解釈もできるんじゃないかなあって。
それ食べちゃ駄目だよってことになると、食べたくなっちゃう。しかも、それが美味しいものだったら特にね。それがフグだって話だけれど。他にも、タブーを破るという意味での食品は有るんじゃない?酒類だってそういう扱いを受けていた時期は有るわけだし、肉食や魚食だって地域や時代によってはタブーだったわけでしょ。それを「こっそり破る」というのが、人間にとっては「いとをかし」なわけだ。
駄目だって言われるとやりたくなっちゃう。こう言えばピンとくる人は多いだろうね。
ところで、自分で自分に課しているタブーって無い?例えば「ぼくは人見知りだから、初対面の人と話すのは難しい」とか。いや、実際に性質としてそういう人もいるよ。そういう人が無理するのは良くない。得意なところで能力を発揮すればいいだけだから。ただ、出来るのに、むしろ適正が高いのに「苦手」と思い込んでいる人もいる。実はとてもよくいる。勝手にタブーだって思っちゃうんだろうね。
困ったことに、自分で決め込んだタブーは破ることに快楽が働きにくい。とても勇気がいるし、怖がっている。なんだろうね。どっちもタブーなんだから、破ったあとの「快楽」も「後悔」も同じなんだけどね。
今日も読んでくれてありがとうございます。タブーについて考えを述べてみましたが、言いたいことの半分も表現できていない感じになっちゃったな。いずれ、整理がついたら再度考えてみることにしよう。