エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 二刀流は、元々当たり前だったかも。 2021年11月9日

ここ最近で、歴史上の偉人と呼ばれる人たちを知る機会があって、気付くことがあります。けっこうたくさんの人がマルチだなあと。なんというか、文武両道なんだよね。
昨日のエッセイで書いた伊藤博文にしたってそうだし、維新の志士ではないけれど同時代に生きた福沢諭吉だって実は文武両道なんだもの。ちなみに、福沢諭吉に武のイメージ無いよね。教育者。慶應義塾大学を創立した人として有名だ。あと、「学問のすゝめ」だね。学問的に優れた人なんだろうな、と思いきや。実は居合の達人でもある。ズルいなあというくらいの文武両道さだ。

現代人だとどうなんだろう。スポーツの世界では大谷翔平がそうだよね。ピッチャーもバッターもやって、どっちも凄い。英語だって喋れるわけだし。英語はさておき、両方出来る人はきっと他にもいるんだよ。というか、小学生くらいだと当たり前のようにたくさんいる。彼らからすればマルチスキルという感覚は無いのではないかと思うんだ。
野球は投げて、打って、走るスポーツ。だから、それをやっているだけ。だから、マルチタスクと言いながら、実は野球というスポーツをやっていると言い換えればマルチタスクでもなくなるのかもしれない。

そうやって考えていくと、伊藤博文や福沢諭吉、徳川家康だって、みんな「社会をより良くしよう」としただけで、特にマルチだという感覚もないのかもしれない。
彼らのような非凡な人材は、ちょっとその能力が飛び抜けている。飛び抜けているからこそ歴史の表舞台に立っていて、後世のぼくらが知っているわけだけど。歴史の表舞台に立たないくらいの凡人にも、ある程度ならマルチタスクの能力が備わっているはずだよね。どのレイヤーで区切るか次第でマルチに見える。

料理を作って、接客もして、財務を見て、企画立案に広報、交渉などなど。経営者のやることだって、割と幅広い。大手企業だったら、列記した内容は担当部門があるよね。だけど、ちっちゃな会社は一人で何役もこなすことになるんだから、そういう意味ではマルチタスクと言えるんじゃないかな。だけど、中小企業の経営者からすれば、「会社をやっている」だけのことで、マルチの感覚なんてほとんどない。
この上で、オリンピック選手だったりすれば、マルチスキルということになるのかもしれないけれど。見方によっては「○○をしているだけ」と言えるようになるのかもしれない。ホントにレイヤー次第で見え方は変わる。

違うジャンルのことは知っていたほうが良いし、出来るようになっていると思わぬ発想に繋がることが有る。アップルコンピューターの創業者スティーブ・ジョブスが文字のデザインを大学で学んでいたことからマック文字が生まれたのは有名な話だね。業務レベルのマルチタスクではなくて、もう少し広いレイヤーでマルチスキルのようなことをやっていくと、発想が小さくまとまること無く広がりをみせるのかな。

著名人の話をすると、どうにも凄いことのように感じてしまう。だけど、大抵の人はマルチスキルが当たり前になっているはずだよ。二足のわらじなんて当たり前の話だ。それを活かすも殺すも自分次第というところかな。

今日も読んでくれてありがとうございます。広がりを持たせておいて、自分の生活やビジネスの中でよいところに集束させる。そんな感覚を持ちつつ、感性を磨いていくことがポイントになる。今日は自分に言い聞かせるための文章。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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