エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 企業や社会や人の二面性についての考察。 2022年5月23日

2022年5月23日

会社は利益を求めるものである。そりゃそうだ。経済活動を行うことを前提に成立しているのだから。わかっているのに、この経済活動を嫌がる人もいる。どういうことか。

利益追求は、会社に課せられた使命であるにも関わらず、儲けることを卑しいように感じてしまう。全員ではないかもしれないけれど、一定数はいるよね。どういう心理からやってくる感情なんだろうか。同じことを言い換えてまで書いてしまうくらいに不思議なのだ。

一つは、昨日のエッセイで書いたことと重なってくる。言っていることとやっていることがズレているからかもなあ。散々社会貢献って言っているのに、結局利益追求じゃんってね。社会課題の解決をしようとするなら、利益なんてとるもんじゃない。そういう思想もどこかにあるのかもしれない。ある種高尚に見えるような事柄は、奉仕の精神が必要だと。

それって、程度問題だよね。社会貢献だって、人が活動するわけだ。その人が暮らしていくのに充分な報酬がなければ、そもそも活動を維持することが出来ない。だから、その分のコストを消費者が「買う」という行為を通して負担する構造だ。で、良いよね。

ここで、不必要に大儲けすることが消費者の癇に障るのかな。個人が贅沢するためだけだったら、そりゃそういう感情も起きるかもしれない。一方で、次の社会貢献のために必要な研究開発や設備投資も必要なのだ。その部分まで消費者が負担するのかっていう問題にもなる。そこは、融資で賄うべきじゃないかって。投資のコストを既存商品の利益から捻出するのは当たり前なんだけどさ。ホントは。こういう部分をわかってもらうために明示したほうが良いのかな。どうなんだろう。

他方では、社会貢献を取り繕っているけれど、本質的には利益追求だという企業だってあるよね。明言していないだけでさ。それはそれでアリだと思うんだ。だって、元々ビジネスってそういうもんでしょう。生活の糧を得るために商売を始める。そんな感じで始まったのが経済活動なんだから。だから、株式市場があって、上場すると株主から利益配当を求められるわけだ。利益配当を求められる以上は、そのための売上をたてなくちゃいけないのが企業でもある。

その場合は、そうだって言い切っちゃったらどうだろうか。どの程度までは利益追求しますよって。社長が別荘持つくらいにはとかね。

時代はどんどんホワイト化している。純白主義と言っても良いくらいだ。

恋愛対象に清潔感を求めるだけじゃなく、相対する人全てに清潔感を求めるようになった。この清潔感は美意識と結びついているように見えるんだよね。ほら、昭和の歌手なんかは、そこまで美しさを求めてないじゃん。歌がうまいんだから良い。だけど、近年だとビジュアルもかなり重視される世界になっている。映画やドラマを見ていると、みんな美男美女になってるよね。脇役や敵役まで。原作漫画を見ると主人公がジャガイモみたいな顔で描かれているのに、映画化されたときにはイケメンなんてこともあるよ。イケメンのテツロウなんて見たくなかった。あ、銀河鉄道999の話ね。

純白主義になってきて、今は価値観がさらに変化したように見える。「良いものは清潔であり美しい」が「清潔で美しいものは正しい」みたいな感じかな。とにかく清潔で美しく有ることが求められている。これは没個性を生み出してしまうかもしれない。

大義名分を掲げながらも、その大義を成すために多少のグレーゾーンに足を踏み入れる。そういうことは、歴史上たくさんある。徳川家康もその一人だよね。程度の差はあっても、そういう二面性を人間は持っているんだと思う。社会全体が、それをわかって許容する側に比重があるか。それとも、クリーンにオープンにするがわに傾くか。そういうゆらぎの途中なのかもと思う。

今日も読んでくれてありがとうございます。正直であることが正義。真実でもあるし、不便でもある。ただ、現代はその不便さを受け入れた上で、正直さが受け入れられやすい。受け入れられてしまえば、正直な方が楽だ。不便さも消える。そこに向かっている途中なんだろうね。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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