一緒に働くということが、ホントはとても幸せなことなのかもしれないですよね。僕らは飲食店だし、ファミリービジネスだから毎日のように顔を合わせているのだけれど、そうでもなくなっている会社もたくさんあるでしょう。リモートで働くこと自体は効率的。僕も東京の会社に勤めている頃は、通勤のために往復で2時間ほどを費やしていたものだから、これがゼロになったら良いなと思っていたこともある。それが、今や現実になりましたよね。
それでも、オフィスという場所に集うことにそれなりの意味があったのかもしれないとも思うんですよ。意味というか「楽しみ」みたいなものかもしれない。誰かに直接あって、すれ違いざまに声を掛け合ったり、休憩中に雑談をしたり、それからたまには飲みに行ったり、といったことが楽しみの一つになっているのかもなあ。という程度のものです。「仕事をしにいっているのであって、友達を作りに行っているわけじゃない」ちというのは、そりゃそうなんです。ただ、毎日繰り返される日常の中では人に会えること自体が小さな「楽しみ」とか「幸せ」の素になっていたのかもね。と思います。
昨日は、いろんな案件の相談を受ける時間が多くて、お客様以外との接点がたくさんありました。商談だったり、相談に乗って欲しいだったりといろいろでした。体力も精神力も消費するし、自社の仕事も通常よりは停滞します。それでも、誰かに会って話を聞いて、事業を進める援助をするという仕事は単純に「楽しい」という気がしました。
知人に教えてもらった傾向なのだけれど、僕は時々、妙な判断をしてしまうところがあるらしくてね。実際にやりたい事業が決まっていない時に、なんでもいいから一緒にやろうって言い出すんだって。「お前、そんなんで大丈夫か?」ってね、言われましたよ。確かに言われてみればそういう判断していることがあるみたいです。人って、特に仕事で関係する時ですが、相手の能力や特性で判断するじゃないですか。ゲームだったら戦士がいて魔法使いがいて、それぞれの能力の組み合わせでチームを構成するみたいな感じで、それぞれの戦闘力みたいなのをなんとなく数値っぽく捉えてるの。それは、僕もやります。というか、シフトを組むような時は完全に取り入れてますね。とにかく効率が良いですから。それとは別に「この人と一緒に仕事したい」っていう感情もしっかりあって、時と場合によるんでしょうけど、気持ちの方を優先することもあるんですよね。なんというか、僕はそういう誰かと職場で会えるのが「楽しい」のかもしれないですよ。そして、そういうチームがあっても良いと思っているフシがあります。効率以外の選択ね。
今日の話は、ちょっと伝わりにくかったですか。僕の中のものを取り出して言語化してみたつもりですが、どうも整理がつかない。ということは、まだちゃんと自分のものになっていないんですね。
昨日に引き続き「言語化」にこだわっています。「思う」を「考える」に進める練習です。