基本的には、何かを行うために組織が必要なのであって、組織の存続のために組織があるわけじゃない。行うこと、つまり事業のために組織が必要だから、組織を継続する必要があるというなら組織の継続や拡大のための行動が必要になる。
書き出すと、なんだかややこしいな。大切なのは「何をしたいのか」が前提にないと、組織なんて意味がないよってことだ。
実はメチャクチャ当たり前のことを敢えて書いている。
そうじゃない組織がアチラコチラで見られるからね。
単発で短期間の事業をやるだけだったら、大仰な組織なんて必要ない。今年開催した「東海道シンポジウムin掛川日坂宿大会」。このくらいの事業だったら、これのためだけの「チーム」で事足りるんだよね。実際、実行委員会は本番当日をもって解散したし。そもそも、委員会メンバーも「実行委員」という感覚は希薄だ。ぼくも、対外的に実行委員長ということにしただけで、委員会という組織を意識したことなんかないんだよなあ。
観光協会。商工会議所。商工会。こういう団体なんかは、油断するとすぐブレる。「なにを成すことを目標にした組織なの?」ということがね。いや、あるんだよ。有るんだけど、浸透していないとか。有るんだけど古すぎて現代にマッチしていないとか。そういうことが起こりやすい。
団体じゃなくても企業でも同じことが起きてるよね。
あれ?そもそもぼくらはなんのためにいるんだっけ?
飲食店では、割とよく見かけることなんだけどさ。何代にも渡ってお店をやっていると、続けることに意識が集中しすぎてしまう。続けることに価値がある。それは間違いないと思うし、とても大切だし、生半可な覚悟じゃ出来ないことだ。これについては、いつもリスペクトしている。
ただ、歴代の人たちが「うちの店が目指すものってなんだ?」と自らに問い続けることが大切なんだと思う。
まあ、理念だね。
ちょっとずつ、自分なりに解釈を加えて修正しながらお店をやっていく。
なんだけれど、どうかすると理念を上書きしちゃうんだよね。上書きしちゃっても全然問題ないんだけどさ。今この瞬間に必要なものは「それ」なわけだから。ただ、今までがどうだったのかは、歴史として知っておくと良いと思うのだよ。かつて通ってきた道だから。知るだけで良い。
そうだなあ。卒業アルバムをめくるような感覚と言ったら良いのかな。
そうだ。卒業というのは良いね。過去にリスペクトと哀愁を感じながら、戻るわけじゃないって感覚。ちゃんと社史というものを「歴史」として学ぶと良いのかもね。
伝説の経営者が築いた企業って、社史じゃなくても書籍化してたりするから、そういう意味で現行の社員は理念と歴史を学ぶ機会が多いとも言える。ぼくらのような中小企業のほうが弱いんだろうね。
今日も読んでくれてありがとうございます。ぼくは二代目だし、創業者と一緒に歩んでいるし、両親の思い出話をツマミに酒を飲むことも有る。こういう機会は、思っていたよりもとても大切なんだね。ということに、今気がついた。