料理とアートは似ている。というと、そんなに高尚なものにしてしまうのは違う気がする、と反論があるかもしれない。それも少々アートに対する誤解があるようにも思えるのだけれど、とりあえずそういう議論は今回の主旨ではないので横に置いておこう。
価格の決まり方。この部分において、アートと同じように定まっていくのが良いのではないか思うのだ。
どうも、日本人は原価を見て価格を判断する傾向にあるように見えるんだよね。明治維新の近代化政策で工業を中心に立国したからなのか。それともそういう風潮が昔からあったのか。そのあたりのことはわからないけど、価格の決まり方についてこんな計算式で考えがちだ。
「原価」+「労働時間」+「諸経費」=価格
どうだろう。高いなあとか、ボッタクリじゃんとか思うときは、この計算式ではじき出される「推測値」よりも高いときじゃないだろうか。
これってさ。カール・マルクスの労働価値説的な発想に近いよね。
この感覚を他のものに適用するとおかしなことになる。例えば書籍。基本的に必要な原価は紙とインクなどだ。そんなに高いものじゃないよね。それから本を作る人の労働力。発行元の人、書籍を書いた作家などの報酬になるものだ。あとは、配送費用だとか広告だとかの経費が足されていく。
だけどさ。
書籍の本当の価値ってそこじゃないんじゃない?文章の中身。本の良さってそこだよね。
これだけの価値のある内容だから、もう少し高くても良いよ。
とか
この程度の内容にしては、これじゃ高いよ。
とか。
書籍の評価はこんな感じになる。
内容がとても良いものであれば、高くてもドンドン売れていくのだからさ。
そう。市場の価格はもっと「主観的」なものなんだ。
アートはまさにその極みに近いかもしれないよね。一点物の絵画は、直感的に欲しいと思う気持ちから価格が決まる。想定したよりも高いけれど、それでも欲しいから頑張って買う。基本的に感情。
確かに投機目的で購入する人もいるけれどね。それはまた別の話になってくる。
経営の神様とも言われる稲盛和夫さんは「お客様が喜んで購入していただける一番高い金額」が、正しい価格設定の仕方だと言っている。
どのくらい「お客様に喜んでもらえたか」が、価値設定の基準だとね。
ホントそうだよなあ。
現代の経済は、労働価値説ではなく効用価値説が主流。のはずだ。
今回の話は効用価値説とは違うけれど、でもまあ少なくとも近世の労働価値説ではなかろう。
もっとちゃんと勉強しないとよくわからんところも多いのだ。
今日も読んでくれてありがとうございます。料理に限った話じゃないか。価格の決まり方って「どれだけ喜ばれるか」が基準であることのほうが、自然だと思うんだよなあ。