エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 効率と非効率、実用性とアートの考え方。 2021年5月17日

2021年5月17日

5月13日に「食事は実用性を兼ね備えたエンターテイメント(アート)」ということを書きました。これについて、最近デザイナーさんとお話をしたのがとても興味深くて、その後もいろいろと考えたんだよね。

実用性に重心を置いている産業、たとえば日用品を生産して販売するというようなこと。これは、ひたすら効率化を追求することで発展してきた。というのは、第一次産業革命から続く流れだね。「ものづくりの効率化」が中心になっているのは、産業革命自体が「織布産業」から始まっているからだ。スタートはイギリスのマンチェスターだとか。羊や綿花から糸や布を生産するのに、なるべく短時間で労力少なく作ることで企業が発展した。それが、徐々に鉄鋼業だとか自動車産業だとかに広まっていった。

エンターテイメントやアートというのは、反対の性格なんじゃなかろうか。そもそも「動物として生命活動を維持する」という上では、一見無駄のように見えるものがアートかもしれないよ。ぼくは無駄ではなく必要なものという認識だけどね。ともかく、効率化という概念からは対局に存在するのがエンターテイメントやアートなんだよね。

ロックバンドのギタリストがものすごく低い位置にギターを構えているのだって、非効率だ。弾きづらいんだよねホントは。だけど、魅せるという意味で重要だからやっている。絵とか写真とかもそういう「非効率」を抱えているんじゃないだろうか。そして、その非効率の中に味わいがあると人間が感知しているのかな。と思ったりもする。

料理の世界でもあるよね。お寿司屋さんのカウンターで、あんなにオーバーなアクションしているのも魅せるというエンターテイメント性が関係している。実際に寿司を握るときに、効率を重視したらあんなに大きな動きはしないもの。なるべくコンパクトな動きでどんどん握っていく。でもそれだとちょっと地味だよね。見て楽しみたいというお客様がいるから、魅せるための動きを取り入れている。

こんな感じで、両方の性質を持っている仕事が、実はけっこうたくさんあるんだよね。デザイナーだって、そうだ。あんまり「自分の表現したいもの」に寄り過ぎると、伝わる人の数が限られる。そうすると商業として成立しなくなるよね。だからと言って、完全に相手に寄り添いすぎても新しい発見には出会えない。
このバランスをどう調整するかというのが、それぞれのポジションによって違うというのが面白いところかな。職種や職業によって「効率化と非効率」「実用とアート」のバランスのとり方が違う。というね。

アートの部分から実用、つまり非効率から効率に傾斜していった結果、どうなったかがわかりやすいのは自動車かなあ。なんとなく似たようなデザインが主流になっちゃったよね。20~30年前はあんなにいろんな形があったのにさ。こんなこと言うと自動車産業の人に怒られそうだけど。
居住空間を確保するとか、空力抵抗を下げるとか、衝突安全を高めるとか、そういうことを考えること自体はとても大切だとは思う。その「考える工程自体」を効率化するために、計算のほとんどをコンピューターに任せたんだろうね。そしたら、最も効率が良い形がわかっちゃったんだよ。機械的にさ。だから、みんながそのフォーマットでデザインするから似たような車が増えていった。
良いことなんだろうけど、ちょっと寂しいよね。好きな人にはさ。

独りよがりなアートにならないように相手に合わせる。ということをしつつ、アートやエンターテイメントが持っている「楽しみ」を盛り込む。
どちらかに振り切った方が、悩まなくてもいいんだけどさ。両方を兼ね備えた産業だからこそ出来ることもあるんじゃないかな。というようなことをデザイナーさんと語り合ったよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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