エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 変わらぬ料理は別の味。 2022年1月9日

2022年1月9日

昔からある料理。それこそ何百年も前から親しまれている料理がある。飲み物もある。
時代によって、少しずつカタチを変えていって、同じ名前なのに作り方が変わっていくことも多いよね。「たべものラジオ」でも紹介したビールは、すでに発祥したころのカタチは残っていない。
ホントは名前も違うのだが。

一方で、まったく変わらないレシピというものも存在はする。いや微妙に違ったりはするのだけれど、基本構造が一緒という意味だ。微妙な違いを言い出したらキリがないじゃない。料理する人によって違うのは、個性というものだ。
さばの味噌煮とかカレーみたいなものだったら、何通りもの「私流」があるわけだ。それはそれで良い。肉じゃがだって同じことだよね。

言いたいことはそこじゃない。
変わらないレシピがある。ここね。

たとえば筑前煮なんかは、もうずっと昔からある。室町時代くらいには登場していたのかな。ちゃんと調べてないけれど、少なくとも江戸時代には料理本に登場するレベルだ。数百年。
だけど、確実に現代の筑前煮とは違う。

食材が変わっちゃったからね。
江戸時代にはみりんがない。登場するのは江戸時代の終わり頃のことだ。人参だって、現代のように甘くないはずだよ。もっと香りが強かったはずなんだよね。

人参と言えば、意外と知られていないがセリ科の植物だ。セリって香草だよ。セロリもセリ科だね。だから、人参だって人参らしい香りの力強さがあったのだ。この匂いを嫌う人がいたから香りの薄い人参が作られるようになっていった。かどうかは知らない。今、適当に思いつきで書いた。ごめんなさい。

さて、人参ひとつとってもびっくりするくらいに味が違うのだよ。ためしにおじいちゃんおばあちゃん世代に聞いてみると良い。トマトもほうれん草もいろんな野菜の味が違ったことを証言してくれるに違いない。
もし、最近の記憶が曖昧だとしても大丈夫。昔の記憶ははっきりしているはずだから。

調味料も野菜も様変わりした。
再現料理と言っても、その時代の味を正確に再現出来ているとは限らないのだ。たぶん無理だね。もう、昔のものと同じ野菜は手に入らないから。それに、今手にしている人参が500年前のそれとどのくらい違うのかを判断してくれる人がいないのだ。無理に決まっている。

ついでに言うと、食べる人も環境も全く違う。
移動が徒歩だったころ。そりゃいろんなものが美味しいだろうよ。ピクニックに出かけて食べるランチは格別に美味しく感じるということがある。体を動かした後だというだけであれだけ違うのだ。
似たようなことで言ったら、外で食べるのは美味しいということもある。大昔の家は、現代ほどちゃんとしていないよね。隙間風なんてあたりまえ。貴族だって、障子を開け放ったらほとんど屋外だ。空気ももっとキレイだっただろうし。
キレイと言えば、水も違っただろうしね。

キリがない。
再現してみたらあんまり美味しくなかった。そんな話を聞くことがあるのだけれど、それはほら。あなたもぼくも現代人だから。当時の人にとっては美味しかったのだよ。きっと。こんなものを美味しいと思っていたなんて気の毒だなと。そう思うのは、現代人の感覚でしか無いということ。

今日も読んでくれてありがとうございます。美味しいという感覚も、意外と社会の影響を受けているんだよね。完璧に再現できる料理はないだろうけれど、ほんのりと想像するくらいのことは楽しみとしてあっても良いかもね。たべものラジオで伝わるかしら。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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