エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 心の回復に役立つものってどんなことだろうね。 2021年12月4日

2021年12月4日

いやもう、とにかくマジでしんどい。って時ないですか?体力も削られているし、精神的にも消耗しているしって状況。ドラクエとかファイナルファンタジーだったら、宿屋で一泊したら全回復するんだけどなあ。そういうの良いよね。超便利。現実世界でもそうだったら良いのに。

体力はあるけれど、精神的にしんどい。逆に体力的に疲れているけれど、気持ちは元気。とにかく両方がしんどい。両方バッチリ。と、パターンが有るよね。これ以外にも、体力も精神力も悪くはないのだけれど、歯が痛いとか花粉症でムズムズするとか。そういうステータス異常もあるよね。
これを一挙に解決する方法があったら、こんなに素敵なことはないと思うのだけれど、現実にはない。
じゃあ、少しはそれっぽいことって何かないのだろうか。

ホントはね。一番いいのは、どれもこれもしんどい状態にならないようにケアし続けることなんだろう。体のケアやメンタルケアってやつだ。だけど、このケアが下手な人が多いんだよね。ぼくなんか完全に下手くそだもん。で、時々どっちもしんどいって状態になって、ずーんとなることもあるしさ。

親しい人と一緒にいると、精神力が回復する感覚があるかもなあ。例えば家族と一緒にいて癒やされるというのもそうだし、ペットもそうかもしれない。気のおけない親しい友人と話をするのも良いよね。時々「飲みに行こうぜ」って、なんの用事もないのに連絡が来ることがあるんだけどさ。それって、本人も無自覚なうちに精神の回復をしようとしているのかもしれないよね。

こういうときって、楽しいって気分もあるけれど、一方で癒やしの感覚が強そうな気がする。なんだろう。良い意味でめちゃくちゃ油断してるっていうか。心が弛緩してるイメージなんだよなあ。バリバリ仕事をしている時に、不意に娘が登場するとなんだかフワッとした気持ちになるという体験があるし。無自覚だけれど、心の張り方がぜんぜん違うんだろうなあ。

癒やしっていうのは、もしかしたら心が弛緩しているゆるーい状態にあるってことなんだろうか。

そうだとすると、ひとりのときでも同じ状況が起きるのかな。趣味に没頭しているときはどうだろう。これは、癒やされているのか?ぼくなんかは、脳みそが四六時中思考してしまうような変な癖があるから、よくわからないんだよ。なんとなく、緩んでいる感じがしない。人よってはあるかも。
一人旅なんかは、良いかもね。緩んでそう。スマホなんかも持たないでぶらぶら開放されてみるのも良いかもしれない。温泉にのんびり浸かっている状況も緩んでそうだ。そもそも肉体的にも緩みそうだしね。

旅とか温泉とか、自然の中にいるとか、とても親しい人といるとか。緩んでいる環境には、共通点があるのんだろうかね。この空間に仕事とか義務みたいなものは、持ち込みたくないよねえ。自由な感じでいたいもの。そうか。自由っていうのはキーワードなのかもしれない。ストレスフリーでしたいようにしていること。漂っている感じ。

こうやって深堀りしていったら、どこかで料理の話になるんじゃないかと思ったでしょ。いやね。ぼくも、食事がその癒やしになるって話にならないかなあとは思ったんだ。だけど、全然繋がる気配がなくてさ。親友と食事みたいなところでかするくらいのものだったよね。
そういう意味では、癒やしそのものというよりも「癒やしをブーストさせてくれる存在」なのだろうね。誰かと一緒に過ごすことがメインでさ。

今日も読んでくれてありがとうございます。美味しいものがあるから食べに行こう!って、くらいに癒やしのきっかけに使われるようになったら良いなあ。うまいものを食べると明日への活力につながるって人もいると良いなあ。癒やしかあ。とても大切なキーワードだ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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