エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 愚痴。そして、やらなきゃいいこともあるって話。 2021年11月27日

2021年11月27日

今日は愚痴ですよ。反省も含めて愚痴。

頼まれごとをすると、なんとなく責任を感じて頑張ってしまうことが有るんだ。今年の初めに頼まれ事をした。正直気が乗らない。頼んできた人が、ぼくにとってどうしても断れないような親友のような関係でもない。どちらかというと、ある程度距離をおいて付き合いたい人。ただ、所属している団体の中から誰かがやらなくちゃいけない役職で、候補の全員がやってくれないというもの。仕事にマイナスの影響がるという感覚すらある。

だけれども。誰かがやらなくちゃいけないからって、それで責任感だけで引き受けた。特に思い入れはない。これが大きな失敗だったよ。最終的には、他にやる人が出てきたみたいなので丸投げすることにする。だって、やりたい人がいるんだもの。その人のほうがいいじゃん。はっきり言って、ぼくはやりたくないんだから。

なにせ、この団体。数年前から関わっているのだけれど。先輩方にはとてもお世話になった。人間的にもスキル的にも色んな面で成長させてもらった。もう、その方々は卒業してしまっているのだけれど、今でも仕事やプライベートでお付き合いをさせてもらっている。人間としてとても尊敬している。その先輩がとても大切にしていた団体だからさ。卒業後に変な方向に行ってしまうのは申し訳ないと思うのだよ。というか思ってしまったのだ。別に、ぼくが運営側では無いのに。実際に、現在の運営側はこの20年間で目指してきたことや積み上げてきたことをバッサリと捨てた。ぼくにはそれが気に食わない。

時流に合わせて変更していくことは構わない。だけれども、人間の本質的な部分を捉えて成長させられる団体にしようと、将来は後輩たちが受け継いでくれると信じて、コツコツと積み上げながらバトンタッチしてきたもの。これを、思いの部分から切り捨てるのは違うじゃない。
やり方なんて、どうでも良いの。数年で時代は変わるような社会だから。そうじゃないんだよ。理想があって、そこに向かって進む。その理想も社会を少しでも良くしたいというもの。それが、バッサリと切り捨てられた。とても悲しい。

なんとか、思いを同じくする人たちと元の路線に戻そうと思ってきたのだけれどね。もうしんどいや。「組織を守るため」「組織の中のポジションを確立するため」。口ではそうは言わないけれど、残念ながらそれが透けて見えている。そして、最も恐ろしいのは「本人たちがこれに無自覚である」ということだ。これをひっくり返そうと思えば出来ないことはない。だけれども、そんな時間を彼らのために費やすのはもったいないと思い始めたんだよね。
ぼくには、やりたいこともあるし、とても大切な家族もいる。そこに費やす時間を犠牲にするほどのことじゃない。はずだよね。なんとなく、プライドや責任でやっていこうと思っていたけれど、つまらんことしちゃったなあ。とてもたくさんの人に迷惑を掛けてしまったよ。

今日も読んでくれてありがとうございます。というか、こんな話でごめんなさい。ひとつだけ言えることは。「魂が燃えること以外は、慎重に考えるべし」ということだ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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