エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 日本語って特殊なの? 2021年3月30日

2021年3月30日

日本語って特殊なのか?ということを以前ここで書きました。そもそも主語がないって話ね。で、最近日本語について新しく気がついた事があってさ、これを誰かに喋りたくてしょうがない(笑)

と、その前に前回の話です。英語とかの欧州語は「主語+述語+修飾語」の語順が普通で、日本語は「主語+修飾語+述語」だからレアケースって言う人がいるんだけど、実は「述語が最後」の言語は世界的に見て「多数派」なんだって。少数派の形式を使っている英語だけど、ただただ人口が多いだけ。ここまでは知っている人は知っている話ね。ところがね、言語研究の世界では「修飾語+述語」だけで出来ているという捉え方が日本語の形式の正しい姿なんだってさ。
だから、「〇〇だと思います。」に主語をつけて「私は○○だと思います。」とすると、「私は」がめちゃくちゃ浮き立って見える。確かになあ。英語だったら普通なんだけど、日本語的には違和感があるね。

さて、新しく気づいたことなんだけど。
「日本人は文字を思い浮かべないと喋れない」(どーん!)
・・・?

店の中でこの話をしたら、やっぱりこんな反応だったんだよね。「なに言ってんの?」
なんかね。日本語って音だけで完結してないんじゃないかと思ってさ。ほら、「○○に△△って書いて~だよ」「あ~なるほど」みたいな会話をしたことないですか?これ、脳内に字幕が表示されているからなんじゃないかと思うんですよ。聞いた言葉も自分が話した言葉も、瞬間的に「文字起こし」されていて、その「文字のイメージ」を元に理解をしているんだと。どう?そんな気がしませんか?
他にも「かがく」を「ばけがく」と「かがく」で言い分けたり、「わたくしりつ」なんていうのも文字想起があることを前提に音にしているよね。
これは、表意文字を使用している人の特徴なのかもしれないね。中国の人に会ったら聞いてみることにしよう。

あとね、表意文字と表音文字を組み合わせて使っている言語って少ないよね。多分。すべての言語を知っているわけじゃないからわからないけど。日本語くらいじゃないかと思うんだ。文字を読む時は漢字の意味を左脳で把握しながら、ひらがなを右脳で処理しているという作業を、同時進行でやっているはず。あれ?逆だったかな?
さっきの「字幕」の仮設が正しければ、読むときだけじゃなくて「会話中もやっている」ということになるよね。誰か、会話中の脳波比較をしてくれないかなあ。もうとっくに解明されているのかもしれないけど、ちゃんと調べてないから知らないんだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。調べてみたら当たり前だった、ということがわかっちゃうと「新発見の喜び」が消えちゃいそうだから、しばらくはこのままでいようと思います。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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