エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 水無月とお米との関係は社会を変える? 2021年6月1日

2021年6月1日

なんで6月が「水無月」なんだろうと思ったことはないですか?ちょうど「梅雨」の季節なんだから、水が無いということはないだろってね。
調べてみると「水な月」が元々で、現代文でいうと「の」になるらしいよ。だから、6月は「水の月」ということだって。古文の連体助詞の「な」というだけでもわかりにくいのに、なんでまた「無」という字をつかったのかなあ。「無」という漢字の使い方が現代とは違ったのかなあ。
余談だけど、神無月も神の月ということ?じゃあ神在月ってなんなの?
謎だらけだね。

水無月には別名がある。「水張月(みずはりづき)」だ。これは田んぼに水を引く時期だからなんだって。こっちはわかりやすいね。旧暦だから、今の暦でいうと6月の終わり頃から8月頃になるのかな。田植えの季節がそんなに遅かったってことだよね。そんなにサイクルが変わってるんだ。
そう言えば、ぼくらが幼い頃の田植えって5月も終わり頃から6月の初旬くらいだった気がする。それでも水張月から考えると早いんだけど、2000年を過ぎた辺りからは4月のうちには田植えを終えるようになっているみたい。
それって良いことなのか?ぼくが知らないだけで、良いことがあるからそうしているんだろうけどさ。

理由を見つけた。
「農業の農事試験場や改良普及員などによる指導である。早く植えて早く分蘖(ぶんけつ)させることによって有効茎歩合があがり、より大きな穂に成長するという試験結果を踏まえた判断」

ついでも面白いことも書いてあった。
「品種にもよるが、盆をすぎた頃に早くも実らせてしまうということもできなくはないのだ。けれど
も食味を決める籾の中身が充実するためには、朝晩の気温差がある程度以上に大きくなる必要があるのだという。その時期とはできれば 10 月、早くても 9 月下旬ごろがふさわしい。そこから逆算していくと、さきの 4 月下旬の田植えはいかに何でも早すぎる。ゴールデンウィークでさえもまだ早い、ということがわかってきた。」

やっぱり早すぎるんだね。生産性を向上させるために「早い田植え」をやってみたけど、そしたら美味しくなくなっちゃった。ということか。これは新潟での研究だから、東海地方だったらどうなるんだ?寒暖の差が大きくなるのが必要ということだったら、10月中旬を過ぎないといけないよなあ。
「そこで収穫時期を遅らせるため、いったんは早まった田植えがふたたび遅くなっていくという動きが出てきた」と言っているから、改善は繰り返しているんだね。

やっぱりそうだよね。不思議だったんだ。地域の秋祭りって、だいたい「お米の収穫を祝って神様にお礼を言う」という意味で行われるじゃない。祭礼ってそういうことだもんね。なのに、稲刈りとお祭りの時期が随分と離れちゃったなあという気はしてたんだ。

ちょっと掘り下げて見てみるだけでも、おもしろいことがいろいろと分かってくるよね。時代によって社会システムや社会情勢が起こっている。それも大きなことばかりじゃなくて、こういう小さなことまでさね。お米だけじゃなくて、他の農作物も同じように季節がズレていく感じもする。ひとつひとつはそう大きいことではないけれど、積み重なっていくと大きな社会システムの変容につながるような気がする。
現代では、祭日をコロコロと変えることは殆ど無いけれどね。農作物の収穫時期や作付時期が変わってしまったら祭日が変わって、そのための準備が変わって、季節が違うもんだから準備の仕方や内容まで変わって。というような連鎖が繰り返されていくうちに、思いもしない変容を生み出していくかもしれない。

今日も読んでくれてありがとうございます。そんな妄想をしながら水無月を迎えましたよ。お菓子の水無月に見立てたごま豆腐「水無月豆腐」の仕込みをしています。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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