「第33回東海道シンポジウムin掛川宿日坂宿大会」の振り返りシリーズです。
今大会のキーワードは、とっくに決まっていた。初めて参加したシンポジウムで柴山くんから聞かされたことが元になっている。彼は彼で、その思いを形にするために「宿場なう」という活動を行なっている。この活動や声を、短くまとめたのが「宿場は今も生きている」だ。
ついでだから、今大会の紹介のために書き下ろしたメッセージを転載しておこう。形にしたかった理念は、これにすべて詰まっているからね。
東海道の宿場町というと、どんなイメージを持つでしょうか。もしかしたら古き良きセピア色の世界を想像する方も多いかもしれませんね。
だけど、訪れてみるとそこには実際に今も生活の根を下ろし、時代社会に合わせて変容を繰り返しながら今も「宿駅」としての生きていることがわかるはずです。
過去を知り、その世界観を楽しむことも大切だと思いますし、私も好きです。
それと同時に、今何がそこで起きていて、どんな未来を見ている人たちがいるのかを知ることも良いなと感じます。
ただ純粋にワクワクするのです。
歴史本の中では名も語られない人たちの営みがどんなものだったのか、そういう過去は切り離されたものではなくて、しっかりと今に繋がっている。
その繋がりの中で、私たちが受け取ったものは何でしょうか。
目に見えるものも、そうでないものもあるでしょう。
東海道シンポジウムin掛川日坂宿大会では、過去現在未来のつながりをテーマに、この町の人たちの息遣いが伝わればいいと思っています。
とまあ、こんな具合だ。僕なりに解釈をし直して言語化したものだけれど、理事会のみなさんが思っているものと大きく違うことは無いだろうと思った。
だから、表現すべきは「過去、現在、未来」と一連につながったストーリーだと思った。
ただただ、過去を楽しんだり懐かしむだけじゃない。かと言って、過去を切り捨てて未来だけを見るわけじゃない。ちゃんと過去を学んで、その延長に今ぼくらが存在していて、そこからどんな未来へ繋いでいきたいのかを描く。そんなことだとぼんやり思っているんだよね。
ぼくはわりと「温故知新」という言葉が好きでね。過去の歴史って、事例の宝庫じゃない。だから、ちゃんと学んだ上で考えたほうが良いと思うんだ。じゃないと車輪の再発明みたいなことをやりかねない。それに、過去の失敗と思い込んでいた事例だって、ちゃんと時代背景やその時の社会を知って、さらには行なった人の思いやら思考やらまで知ってみると、ただの失敗じゃないということがわかるんだもの。
何というのかな。挑戦してみて数十年後の結果がどうなったのか、逃げた結果どうなったのか。みたいなことって、長い時間が経過してみないとわからないことも多いじゃん。そんなことの一側面を切り取って、シンポジウムという舞台で表現したらいいと思ったのね。
今日も読んでくれてありがとうございます。実績として形にならなくても、表現することで誰かが次の一歩を踏み出すきっかけになるのであればやる意味があると思うんだよね。講演や街歩きで過去を学ぶ、それを現代の私たちが掘り起こして現代流に表現する。そして、そこに未来を担う中高生が携わる。そんな構図が浮かび上がってきたんだ。