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今日のエッセイ 組織は、守ろうとすると壊れる? 2022年2月8日

2022年2月8日

今この時期だからこそ、思うのだけれど。世の中の大半の組織は、組織を守ろうとし始めた辺りからシュリンクが始まる。

会社もそうだけれど、世の中にはいろんな団体があるよね。給料が発生する場合もあれば、そうじゃないこともたくさんある。

趣味、まちづくり、宗教、自然保護。いろいろさ。

もともと、こういった団体ってなにかしらの目的があってさ。やりたいことをやろうとしたら、人が集まらないと出来ないことに気がついて、そしたら団体にしてある程度の規則性を持たせておいたほうが便利だよねっていう理由で組織になっていったはずなんだ。

一番わかり易いのは、人とお金。

人が集まるのに、その枠組におさまってしまうと、それだけで趣旨を共有しやすい。だから友人や知人の紹介じゃないくらい、自分のネットワークの外側の人が集う可能性がアップする。

それから、活動のために必要なお金や資源を集めるために、そのポケットというか受け皿が必要になる。個人の集まりだと、よほど理解のある少数出ない限りは、お金の管理はかなり面倒なことになる。

だから、団体があると便利だね。

ってことなんだろうと思う。

目的があって、そのための活動に勤しんでいる。

組織は、活動のための道具。

言葉は悪いかもしれないけれど、そういう感覚でも良いのだと思うんだよね。

日本人が、「家を守る」という観念に縛られやすいと言われているんだけど。それが本当かどうかもわからないし、そのせいだと言われても、YESもNOも言えないんだけどさ。

本来の活動よりも、組織を守るための活動の比率が上がってくることがある。

いや、それが大事だという局面ももちろんあるんだけどさ。やりたいことをやるためには、最低このくらいの人数が必要だからとか。

でもね。そういう状態になった組織って、だいたい弱体化するんだよ。いろいろな歴史上の事例を見てみると、そんな気がする。弱体化しないとしても、既得権益化したり、変なヒエラルキー構造を作ったり、いろいろと歪みが生じているよね。

組織の体制を守るためには、ホントは「主たる活動」に割かなくちゃいけない「最低限度の割合」みたいなのが必要なんじゃないかな。という仮説。

仮にそうだとすると、その割合は中世近世と比べて上がっているよね。現代は、その時代に比べて選択の自由度が上がっているから。脱退したら処刑。そんな時代じゃないわけよ。中世って怖いわ。

ちっちゃかろうと、ひとりの経営者としてはとても大事なポイントのように思っているのね。どれだけ理念に共感してもらえるか。

今日も読んでくれてありがとうございます。論理的な思考だけじゃなくて、グイグイ情熱だけで引っ張るだけじゃなく、両方をバランスしながら求心していく。そりゃ名経営者と呼ばれる人たちがスゲーと言われるわけだわ。頑張ろ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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