日本の給食が割と長い期間「お米禁止」という状態だったという話をしました。現代の感覚ではびっくりな状況だったんだよね。しかも、その当時子供だった人たちにとってはそれが常識。常識というのは一部の人を除けば「疑わない」という存在なんだもん。そりゃ米離れを起こすよね。
とはいえ、いくら給食がお米禁止であっても、いくらパン食普及の活動をしても、その親世代からすればすんなりと受け入れられる食文化ではないよね。ずーっとご飯を食べて育ってきたんだから。だから、そうそうカンタンにパッと切り替わるわけもない。むしろ、反動がやってくる。
きっかけは、生産現場から起きたわけじゃないんだ。元々お米の販売って自由じゃなかったんだよね。「生産されたお米の全ては国家が買い取る」「お米の販売は国家が行う」だった。だから、生産者としては必ず購入してくれるお客様=国家なわけだから、そんなに不満は出なかったんだろうね。ちなみに、食糧管理法という法律でこの仕組が定められていた。
なんでそんな管理体制になっていたのか。ということを現在の自由経済だけの感覚で捉えるとおかしなことになっちゃう。というのも、緊急事態になったときに国民が食糧危機に陥らないために、主食のコントロールをしていたんだ。戦争や災害で食糧危機になった時に国家がお米の配給と滞りなく行う備蓄も必要だしね。
だけど、そのうち国家が耐えられなくなる。お米は全量買い取るけれど、お米が売れなくなってきた。というのが1970年頃から起き始めるんだよ。パン食を進めていたら、お米が売れなくなっちゃった。めちゃ余る。これは困ったということになって、給食にご飯を取り入れられるように法改正をし始めるんだ。むしろ、積極的にお米を取り入れられるように助成金をつけるとかね。「新規で米飯給食を取り入れる学校には、お米代金の60%を支給する」。この助成金が1999年まで続くんだからびっくり。それだけパン食が定着していたんだろうね。文化というよりも、政治や経済的な仕組みが根付いていたという感じがするけどさ。
余談だけど、なんだか「食の教育」という観点から見ると、明後日の方向に進んでいたように見えるよね。食料自給率だったり、国家間のバランスだったりという因子が絡んでいるのはわかるけれど、子どもたちのためにって考えるとね。置き去りにしてきてしまっていたような気はするよ。
さてさて、今は完全にお米の取り扱いは自由になりました。1995年から徐々にゆるくなっていって、2003年には完全自由。登録さえすれば普通にお米の販売が可能になったのが2003年。随分と長かったよね。50年以上の間、ぼくらの主食である「ご飯」が自由にならなかったんだから。それは国を守るためだし、当時としては仕方のないことだったと思う。その代わり、思いっきり日本の食文化に影響を与えたよね。
家庭料理においては、「ご飯」+「おかず」という組み合わせが日本の基本。前にも言ったけど、ここで言う「おかず」は「ご飯」を美味しく食べるために発展してきたという経緯があったよね。これが、パンやパスタなどに置き換わることで、「おかず」は単独で成立するものへの変遷を辿ることになる。まさに、和食の食文化への影響が大きい。これが、ユネスコ無形文化遺産の申請を行った時に審査が厳しかったポイントだったらしいよ。日本の食文化が遺産に値するのは評価するけれど、実際は廃れてきているんじゃないかってね。
今日も読んでくれてありがとうございます。今の20代の方が、ご飯文化が復活してきているって知ってました?また、時代は変わってきているんだね。次回は、半世紀の間に一般消費者の間で何が起きていたのか、食習慣と社会情勢の関わりの話をしてみますね。