エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 継続するとオイシイ 2021年8月27日

2021年8月27日

「継続は力なり」誰でも一度は聞いたことがある言葉ですよね。「続けることそのものに価値がある。」と捉えることも出来るし、「続けた先でしか得られないものがある。」という捉え方も出来る。

続けた。という事実には価値があると思われる。
例えば、創業200年の企業ってスゴイなあって素直に思うじゃない。続けられるということは、それだけ価値のある企業なんだろうな、とね。ほぼ日の糸井重里さんは、かれこれ25年ほど毎日エッセイを書いている。ホントにスゴイことだよね。内容も素晴らしいのだけれど、内容に辿り着く前に「続けている」というだけで、もうとんでもないことだと思っちゃうもん。あるよね。そういうこと。

続けた先で得られるもの。
これは、繰り返し繰り返し行動をしていくことで精度が上がっていくということかな。成長と言い換えても良いかも知れない。ぼくの書いているエッセイはちっとも進化していないような気がしているのだけど、ずーっと続けていったら、いつかはもっと上手になっているかも知れない。毎日毎日、しつこいくらいに練習してたら字だって上手になるかもしれないし、大根の桂剥きだって異次元の技術を手に入れることだって出来るかも知れない。あるよね。そういうこと。

ここまでは、それなりに沢山の人に共感してもらえると思うんだ。少なくとも理解はさ。問題は、「どうやったら続けられるか。」なんだよね。

一言で「根性」と言ってしまえば、それはそれで出来る人もいるかも知れないけれど。精神論だけで継続できる人はそんなに多くないんじゃないかなあ。わからないけれど、ぼくはシンドイと感じちゃうかも。だから、継続しやすくする工夫が必要なんだよ。環境を整えるとか、楽しくするとか、ね。

ぼくの場合は、ま、このエッセイについてだけど。いくらか簡単なルールを作っている。料亭というビジネスとは繋がらなくても良いから、とにかく好きなことを気ままに書く。まずこれね。題材を探すエリアを限定しちゃうと、思いつかなかった時に辛くなっちゃうから、なるべくゆるーくしてる。あと、書ける時にまとめて書く。仕事の状況、それから体調や精神状態によって、スラスラといくらでも掛けそうな日もあれば、ちっとも筆が進まないしその気にもならないという日だってある。体と心はなるべくフラットになるように気をつけてはいるんだけどね。それでもやっぱりあるもの。だから、筆が進む時に何本も書いちゃうんだよ。アップするのが毎日というだけ。その日に思いついたことがあれば、それをアップすることもあるし。気がのらないときはストックをそのままアップする。

こんな感じで、毎日続けているんだけど。これが「継続のための環境」を用意している感じかな。ホントは楽しくて続けたくなっちゃうという方が強力なんだと思う。最近はエッセイを書くのが楽しくなってきているから良いのだけど、そうじゃないとシンドイから。「楽しいものにする」というのは、結構ハードルが高い工夫のやり方じゃないかな。始めからそうするというのはさ。

こんなことを考えていたら、スゴイことを発見した。「食べ物を美味しく調理する」これだ。動物は食べないと生きていけない。当たり前だね。より健康により長くより強く。なんてことを考え出すと、食べ物の種類が増えてきて、それらをバランス良く摂取する必要がある。しかも、毎日継続していかなくちゃ意味がない。これをクリアするための工夫として、「おいしくする」が存在するんじゃないかと気がついたんだ。

今日も読んでくれてありがとうございます。仕事でも遊びでも、続けて良いことがあるなら、美味しくすると続くんだということなんだろうか。「美味しい仕事」って、なんだかなあ。誤解を招く表現だ。あ、「おいしい生活」ってそういうことか。糸井重里さんってスゴイなあ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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