エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 見ているようで見えていないモノゴト。 2022年4月2日

2022年4月2日

都会では見られないかもしれない。そういう風景がある。漆黒の夜空に浮かぶ星空も、澄んだ空気のたまものだ。広い空間を楽しむことが出来るのも、田舎の特権なのだ。

地方都市でも、少し離れた郊外に大型のショッピングセンターがある。車移動が基本の営業マンが、広大な駐車場を利用して時間を潰しているもの都会では見られない風景の一つ。美しいものではないが。これもまた人間の営みだと思えば、すこしばかりは愛着がわく。

先日、妻と子供とで買い物にでかけた。そろそろ幼稚園の支度をしなくちゃならないので、大きな衣料品店に行ったのだ。広大な駐車場を抱えていて、駐車スペースが広いのも子連れにはありがたい。一方で、駐車場無いと言えども車の交通量がそこそこある、という危険地帯でもある。

子供が生まれる前は、なるべく広く空いたスペースに駐車していた。歩くと言っても数百メートルも歩くわけじゃないのだ。ほんの十メートルばかり歩く距離が伸びるだけだ。店舗に近い場所は、必要とする人にとっておきたいという殊勝な気持ちもある。広々したところのほうが、ドアパンチの心配もいらない。

ぼくが駐車する場所の近くには、ちらほらと休憩中の営業マンを見かけるのが常だった。

どこでも走り回りたい幼子がいるとそういうことも言っていられない。店舗に近い場所を必要とする側に変わったのだ。少しでも事故の可能性を下げたい親心。気をつけていても万が一を考えれば、車が走るゾーンをなるべ歩かせないようにしたい。

まぁ、そこまで神経質にはならない。空いていたら、近い場所に止めようかなと思うようになったというくらいのものだ。

その日もやはり近くに止めた。案の定歩道を走り出した我が子を止めに入る。

ふと隣の車に目をやると、明らかな商用車に乗ったサラリーマンと思しき男性が運転席にいる。なにか買い物をしてきたのかもしれない。

一度店内に入ってしばらくしてから、車に忘れ物をしたことに気がついて戻ると、その男性はスマホをいじっている。どうやらゲームでもしているらしい。買い物を終えて1時間。車に戻ってみると、やはりまだ隣りにいた。目が合うと慌てて目をそらす。

さすがにちょっとね。どうだろう。少しくらいは遠慮したら良いのにね。気持ちはわかる。誰だって休息は必要だ。車の運転が日常になっているから、事故を起こさないためにも休憩はしたほうが良い。場所を貸してくれるかどうかは、店舗の判断なのでぼくが関与することはない。

でもね。遠くで良いんじゃない?

たまたま、小さな子供を載せた車が離れたところに駐車していたので、その男性に声をかけてみた。申し訳ないけれど、遠くの駐車スペースだと子供が飛び出したりしないか心配なんです。あちらの女性は二人のお子さんを見なくちゃならない。この場所を譲ってもらえないですか。

若い頃だったら、睨みつけていたかもしれない。現にそういう人もいる。ぼくもずいぶんとオトナになったものだ。どんな反応をするだろう。と思っていたら、慌てて謝ると車を動かし始めた。そうか、そういうニーズが存在することに気がついていなかったのだ。バツが悪そうにしていたのは、長時間居座っていたからだったのか。

車からベビーカーを下ろそうとしている。声をかけて、車を移動してもらった。歩道に直接ベビーカーを下ろすことが出来るのは、親としてはありがたいのだ。ホントは、件の男性がここまでやってくれたら素敵だったのになあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。気が付いていない。ということは誰にでもあるよね。意識していなければ、体験しなければわからないなんてことは世の中にたくさんある。気が付いた後に、行動をどのように変えていくかが大切なんだろうな。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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