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今日のエッセイ 解をさきに置く逆算思考 2021年9月6日

2021年9月6日

正しい計算と逆算の思考の違いを考えてみます。ちょっと哲学的な感じがするけれど、さして難しい話じゃないと思うから、なるべく噛み砕いて整理してみるね。あ、事業とかビジネスとかの話です。

正しい計算というのは、よく戦略コンサルタントがやる手法。語弊があるな。でも実際に多い。端的に言えば、過去のデータを収集して分析して導く答え。現在こういった商品が売れていて、消費者のニーズはこうなっている。その延長線上にはこれが正解。というような、とてもロジカルな組み立てで導き出すものだ。だから、それは確実に正しい。

一方で、逆算というのは先に解がある。こういう商品を作りたいとか、サービスを作りたい。もっと言ってしまえば、こういう世界を作りたい。そういう意思だね。解ありきで、計算を始める。xやyやらの複雑な工程式があって、解だけはわかっている。だから、無理矢理にでもその解にたどり着く数字を代入し続ける。そういう考え方。

どっちが良いかというのは、無い。ないんだろうなあ。だけど、以前、携帯電話の業界にいた時に逆算ってスゴイパワーと思ったことがあってね。iモードやiPhoneの登場。これって、ほとんど逆算に見えるんだよ。それまでの日本のケータイと言えば、二つ折りのガラケーが主流。その前はストレート。年に2回の頻度で新機種が登場していたし、市場は活況だったんだけどね。今までこれがウケているから、そこに市場の動向や新技術を投入して導き出すと、新機種はこうなる。そういう思考のもとで投入されていた。

ところがさ。全然違うものが登場するわけだ。こんな世界が出来たら良いな。スティーブ・ジョブズがどう考えたか知らないけれど、そんな意思を感じる商品だった。もっと強かったかもしれない。こんな世界を作りたいとか。
確かにiPod touchという商品や、PDAというデータ通信端末はあったから、それをケータイと組み合わせただけだとも言える。だけど、それはあくまでも技術の土台になったというくらいのものなんじゃないかと感じた。直感的にインターネットを使えるモノを持ち歩ける。それがあったら、世界はどう変わるだろうとワクワクしながら構想したんじゃなかろうかと思いを馳せるんだよ。

ぼくが感じている逆算思考ってこういう感じ。これには課題が2つある。ひとつは、先に解を設定するためにはどうしたら良いか。もうひとつは、使い所を間違えると大変なことになるってこと。

解を置く。これはかなり難易度が高い。夢想家と言われても仕方ないくらいのことだ。課題解決でもいいし全くの新しい世界観でも良いんだけど、過去のデータや市場という呪縛から逃れないといけないからさ。もっと言ってしまえば、現在この社会にある常識を疑ってみる必要がある。常識を疑うって言葉はあちこちで聞くけれど、なかなか簡単にできるもんじゃない。ひとつひとつ疑ってみると、それだけで人生が終わってしまうくらいに世の中は複雑で、常識や社会通念で作られている。そしてそれに抗するのはそれなりの覚悟とエネルギーがいる。なにより、見出すための感性がいる。創造性とも言うよね。
ああ、だからか。世界のエグゼクティブが禅やアートに興味関心を抱いているのは。

もうひとつの使い所。よくドラマで扱われるような先入観の話。証拠に基づいて論理を構築しなくていはいけない時ってあるよね。刑事ドラマや探偵モノだったら、犯人を決めつけるのではなくて先入観を持たずに証拠から冷静に導く。下手に決めつけると、認知バイアスがかかって正しい答えにたどり着けない。そういう正しい答えが求められる場面は日常でも確実にあるもんね。そこの見極めは絶対に必要だ。

情報や知識をインプットして、ストーリーを生み出す作業というのは、何も作家だけのものじゃないんだよね。学生の頃よりも、経営をするようになってからのほうが学習量が増えているのはこういうことを考えるため、整理するために必要だからだろう。

今日も読んでくれてありがとうございます。「私はアーティストであり、探偵である君はそのアートを分解する評論家でしかない」と言っていたのは、名探偵コナンの中の人物だったかな。記憶が曖昧だけど、なんだか言い得て妙だよね。もちろん、犯罪はダメよ。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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