エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 言葉のインフレと過剰包装 2021年4月11日

買い物袋が有料化になって、だいぶ定着してきた感があります。過剰包装も同時に控えられてきたは良いことなんだよね。コストも掛かるしゴミも増えるし開封が面倒だし、「過剰」包装ってあんまり良いこと無いなと思う。
一方で、演出だったり品質保持だったりの為の包装は過剰だと断言できないところもあって難しい。例えば、贈答品は「気持ちを表現するための演出」だからね。保護という機能面だけじゃなくて、心の豊かさに対してアプローチしているわけでしょ。このへんのさじ加減がなかなか難しいよね。定着するまでにはしばらく時間がかかるのかな。

過剰包装と言えば、「言葉の過剰包装」が気になるんだよね。
特に「させていただきます」がやたらと使われているように感じていてね。「お(ご)〇〇させていただきます」という二重敬語問題も気にはなるのだけれど、それ以上に「使いすぎ」が気になります。
「させていただきます」を頻繁に使う人にも2パターンあると感じていて、ひとつは慇懃な態度の方、もう一つはライトな感覚で使う人。慇懃なタイプはわかりやすくて、ずーっと「恐れ入って」る感じ。この態度であんまり頻繁に「させていただきます」が続くと、そんなにへりくだる必要ある?どんだけ自分を下げるのよ。って思っちゃうのね。それからライトな感覚で頻繁に使うタイプだと、言葉がインフレを起こしているみたいに感じるんだ。上位の敬語が多すぎて、敬語の価値が下がっている。

あとね。過剰包装された言葉って届きにくいんです。聞き手からすると、包装された部分を剥がして「言いたいこと」という中身を取り出す必要があるんだよね。多分、無意識のうちに脳内で要約しているんじゃないかと思う。あくまでもイメージなんだけど。頭の中に字幕スーパーが流れていて、その中から前後の装飾部分をはずした「核」を取り出しているんじゃないかな。そんなに苦ではないのかもしれないけれど、多すぎると面倒じゃない?包装が多すぎるとそうなるよね。

今思いついたんだけど。もしかしたらこういうのが相手との距離感をはかりにくくさせているのかもしれないよ。ほら、敬語を使っていると距離感が近くなりにくいって言うことがよくあるじゃないですか。ホントは仲良くなるのに敬語かどうかなんて関係ないと思うんだけど。でも、そう感じる人が多いっていうのは、過剰包装の部分が多いと、言いたいことの本質までの距離が長いからじゃないかなって。「表現自体が本質との距離を持っている」から「人と人の距離が縮まりにくい」みたいな感じね。
専門家じゃないからわからないけど。どうなんだろう。

掛茶料理むとうは、基本的にみんな距離が近い傾向にあります。家族でやっているからなのかな。よくわからないけれど、お店のスタッフとお客様の距離が割と近い。ちょっとルーズに感じる人もいるとは思うけど、ぼくはこの距離感を好もしく思っています。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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