エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 話がブレると言われるヒトへ 2021年3月25日

2021年3月25日

だいぶ前に読んだ野球漫画の主人公の話なんですけどね。最近、思い出したことがあって、今日はそれを書こうと思います。
ライバルチームとの試合で、主人公はピッチャーとしてマウンドに上がります。緊迫した展開の中、相手チームはランナーを進めるためにバントをしようと構えたところ、主人公は「セコイ真似してんじゃねぇ。男なら真っ向勝負してこいよ。おれはバントなんて認めねえ!」と吠えるわけです。野球を見たことのある人ならわかると思いますけど、戦略としてバントは正しい判断ということもありますよね。でもまあ、主人公の気持ちもわからないではないです。そういう雰囲気でもありましたし。それで、どうなったかというと、挑発に乗ったバッターは三振になりました。
ここまでは良いのです。ところが、その後主人公がバッターとして打席に入ったところで空気が一変します。ランナー一塁の状況で、バントの構え。ついさっきまで「おれはバンとなんて認めねえ!」と言ってましたし、なんならルールから消してしまえとまで言ってましたからね。「おいおい。言ってることがめちゃくちゃじゃないか」ということになるわけです。そりゃ当然です。その後、「バントをするフリ」だと思い込んだピッチャーはまんまとバントをやられてしまうのですが。相手チームからは非難の嵐だし、味方も呆れてしまいます。そうなりますよ。僕だってそう思いました。そしたらね、「さっきまではピッチャーとしての俺の理屈で、今はバッターとしての理屈だ。バッターだったらなんとしてでも塁に出たいに決まってんじゃねえか」と言うんですよ。全員がポカーンですよ。そうですよ。そうなりますよ。無茶苦茶です。

これがね。いわゆる「二律背反」的な話で、一般的に「話が変わる」とか「軸がブレる」とか、社会の中で言ったらそういうことになる話です。仕事をしていて、「言ってることが違う」と感じたことありませんか?僕も以前は、さっきの主人公の考えがイマイチ掴めなかったんですよね。でも、今はわかります。
経営者として、営業として、ホールスタッフとして、料理人として、どの状況で働くのも僕は同じ人物。見る場所が変わると思考も変わる感覚があるのです。多分6割くらいは一緒で、残りの4割が変動する感じかな。「自分が正しいと思う価値」が「○○として」が加わることで、少しずつ変動するんだよ。仕事をしている僕と、家族といるときの僕は同じ人間だけど、やっぱり少し違う気がするしね。これって、気が付かないだけで皆一緒じゃないかと思うんだ。「人間とはそういうものだ」とね。そして、それが悪いことでもないと思う。変動するから成長するし、転職もできるし、状況の変化にも対応できる。でしょ。

「どんな場面でもひとつの理屈で変化はしない」というのも一つの価値観で、そういう面も併せ持ちながら、同時に変動もしていく。「変化しない」と「変化する」の二律背反が共存しているのが僕らじゃないかと思う。それを許容して、理解して社会は動いているように見え始めました。

漫画のストーリー、忘れてたんだけどね。意外と深いこと言っていたんだって、最近気づきました。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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