エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 話を聞くということ。 2022年2月5日

2022年2月5日

昨日のスピーチについて、考えていることをもう一つ追加しようと思う。

スピーチとか日常会話とか、まあコミュニケーション全般だね。

コミュニケーション能力、通称「コミュ力」。これがとても大切だということが言われるようになってから、もう何年も経過しているよね。今でも、人事採用担当が最も重要だとしている綱目に「コミュ力」が挙げられているそうだ。となにかの統計記事で読んだ。

文書やテレビで見たり、出会う人達から得る感覚では、コミュ力とはどうやら発信力を中心に語っているような気がする。よく聞く力と言われてもいるけれど、とかく尋ねる力、質問力みたいな発信を指しているケースも多い。

いやね。コミュニケーションって、もっと「直接的にはどうでも良いこと」が中心にあるんじゃないかと思うんだよね。

どうでも良いこと。言葉が良くないかな。少なくとも、発信者がどうでも良いと思って発信している他愛もないことだ。言い換えると、発信者がなにかのメッセージを乗せていないくらいの、薄い情報。そのやり取りなんだろうなあ。

会話の60%は自分のことかだれかの噂話。

という研究に関する記事を読んだのだけど。それが本当なら、その中には「自分をこう見せたい」という「意図」が出ているよね。バイアスがかかった情報。これだけを頼りに相手と深いコミュニケーションを取ろうとすると、なかなか難しい。この辺りは、感覚でつかめるんじゃないだろうか。

だから、どうでも良いと思って発信している各種の薄い情報、これが意外と大切だったりする。もっと言うと、言語にもなっていない仕草や、その場では表現されていないバックグラウンドだとか、が理解につながることも多い。

コミュニケーションは、よくキャッチボールに例えられる。プレゼンテーションなどの解説?指南書のようなものは、相手が受け取りやすいボールを投げるように指導するよね。

これさ。発信者目線ではとても大切なんだけど、一部の本や講演では「全部やさしいボールで」って記載されていて、ちょっと辟易するんだよ。楽しくキャッチボールするには、相手と自分の力量に合わせたボールがいいわけだよね。

初心者に剛速球を投げたら相手は辛くなるし、逆にゆるーいボールを上級者に投げ続けたら退屈だしさ。どちらも楽しくない。

そういう意味では、キャッチング能力ってかなり大事なんだよね。いろんなボールを投げられるだけじゃダメなんだよ。

キャッチの上手い人って、多少変なボールが来ても、いい感じにみんなキャッチしちゃうでしょ。キャッチするってことは、言わんとする事の要点を掴むってこと。媚びるように相手に気持ちよくなってもらうんじゃなくて、ちゃんとキャッチすること。

野球やサッカーなどのチーム球技だと、日頃から一緒にプレーすることでチームメイトの癖や力量を把握する。だから、多少雑なボールのやり取りをしても成立するんだと思う。ほら、長年連れ添った夫婦の会話は、傍で聞いていると意味がわからないのに、二人はちゃんとわかっているという事があるじゃない。あんな感じ。

前述した、「どうでも良いこと」や「その場にない情報」は、こんなふうに効力を持っているとも言える。

言っていることの意味がわからん。と言ってばかりいる上司は、部下のことを全然見ていない可能性があるっていうのは、つまりそういうことだ。

以前、「難しい言葉を使って頭いいアピールをしようとする」と言われたことがあるんだけど、別に専門用語でもないし普通に新聞やニュースでも使用されている言葉なんだよ。やさしく言わないほうが悪いって。

単純に「その場にない情報」をキャッチできていなかったんだろうなあ。

勉強会で言う指摘じゃないとは思うけど。勉強しに来てるんだから。

今日も読んでくれてありがとうございます。どちらが良い悪いとか大切という話じゃなくて、どっちも大切だからバランス良くやったほうがいいんじゃないかなっていう話でした。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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