エッセイみたいなもの

今日のエッセイみたいなもの 2021年2月26日

2021年2月26日

たまに「掛茶料理むとうのホームページ」を開くとびっくりする。なんせ、武藤太郎の顔写真がズラーッと並んでいるのですよ。美女の写真ならまだしも、僕なんかの、しかもまったく同じ写真が並んでいるのはちょっと気味が悪い。

といっても、毎日写真を変えてみようか。という発想は僕には無いのです。あまり美味しそうじゃない「武藤太郎」という素材を、せっかくカメラマンさんがプロの技でなんとかしてくれているのだ。素人が手を出したところで、良い写真が毎日取れるわけないじゃない。せっかくなのでこのままの写真を使っていこうとは思っているのだけれど、どなたか素敵な似顔絵に仕立ててくれるなら、イラストのほうが良いのかな。かわいい絵なら連続していても素敵になるのだろうか。

ああ連続にならないようにするなら、エッセイ以外のことを投稿すれば良いのでは?ということを、いま書きながら気づいてしまいました。お茶についてのことを投稿するなら、お茶の写真。ふぐのことならふぐの写真。こんな気ままな文章ばっかりではなく、ちゃんと料理のことを書くと良いのではなかろうか。という気がしてきた。というか、そっちが本来の正しい姿のようにも思えてきました。これからは、少しずつ料理に関することについても投稿していこうと、今のところは思い始めました。やるかどうかはこれから考えますね。

それにしても、珍しく続いているな。ほぼ毎日投稿し続けて一ヶ月が経ったのだけれど、僕はこの手のものがあまり得意ではないと思っていたのです。この手のものというのは、ブログだとかSNSだとかの情報発信である。なんとなく「よしやろう」と思って始めたこともあったのだけれど、大抵の場合は一ヶ月も立たないうちに立ち消えてしまう。文章が長いからじゃないかと言われたこともあるけど、ツイッターみたいな短いものもめったに投稿しないのである。そんな僕にとっては、一ヶ月だけでも割と快挙だと思っている。そして、まだ少しは続きそうな気がする。

僕の思考は湧き出ては流れ出ていくものが多くて、自分で書いた文章は忘れてしまうものが多い。学生時代にバンドで歌詞を書いていたときだってそうだった。作詞したのは僕なのに、覚えていないということがよくある。ひどいときは、後輩のバンドの曲を聞いていて「この歌詞いいな」とか思っていると、実は随分前に僕が書いて渡したものだったこともある。その割に、人の書いた本で読んだものは覚えていられる。人体の不思議だと思ったけれど、これは武藤太郎という個体の不思議だと笑われた。

今日も読んでくれてありがとうございます。なんの実りもない話だったけれど、こういうのも有りだよねと思って読み流してくれるとありがたいです。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

掛茶料理むとう2代目 ・代表取締役・会席料理人 資格:日本料理、専門調理師・調理技能士・ ふぐ処理者・調理師 食文化キュレーター・武藤家長男

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