エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 見る角度が少し変わると 2021年4月21日

畳の上にテーブルというスタイルが基本になってから、もう随分と時間が経ちました。

少し前までの料亭なら、畳の上には座椅子と座布団だし、お膳かそうでなければ座卓が置かれていたはずだよね。当然今でもそういうところはたくさんあるんだけど。掛茶料理むとうの基本は、いつの間にかテーブルと椅子になっちゃった。正確には「高座椅子」と「高座卓」と言って、洋風の椅子よりも少し低いのだけど。そういった細かなところはあまり意味がないんだよね。だって、どう見てもテーブルと椅子だもの。

正座や胡座に慣れていない人も多いよね。それに高齢者は慣れていてもちょっとしんどい。我が家でも膝が痛いって言っている人もいるしさ。ぼくらも配膳するのが楽チンだ。悪いことなんかひとつも無いように見える。文化が廃れるって言うひともいるかも知れないけれど、江戸時代だって、もっと前の時代だってちゃんと庶民の間に椅子と食卓はあったんだから。それも伝統のひとつだって言えるよね。

だけど、ちょっと困ることもある。
それは景色。掛茶料理むとうにいらっしゃるお客様は、窓から見える景観を楽しんでいる。それは、椅子だろうと座布団だろうと変わらない。けれども、日本の伝統文化のひとつに「風景を切り取る」というものがある。障子や欄干、御簾というものを使って、ちょうど美しい絵画のように切り取って見せるという手法だ。これがちょっと困る。
見る人の高さが変わると、切り取られた景色がガラッと変わってしまう。例えば、テレビを見ていて画面が少しばかり下を向いているような感じになるんだよね。上の空間と下の空間のバランスが悪くなるんだ。
だから、うちの大広間は切り取りの枠を外してしまった。もうだいぶ前のことだけど、そういうふうに改装した。余分なものをバランス良く切り取った美しさを捨てて、自然がドーンと広がる風景美に切り替えちゃったんだよね。それはそれで良いものだけど、ちょっと寂しくもあるかな。

ところで、視点をちょっと変えるということについてオススメしたいことがある。観光地にある歴史的建築物を見る時のことなんだけどね。お城とかお城の御殿とか、そういうの。ちょっと腰を落として歩くと良いよ。背筋は伸ばしたまま、膝をかがめて、そうだな身長が150~155cmくらいになるようにして歩くの。変な姿勢だから、あまり人がいない時が良いかもね。
「建物が建てられた時代に見ていた景色」に近い視点になるってこと。これがポイント。その建物を作った人は、住まう人の視点で「より美しく見えるように」考えて設計しているのね。だから天井とか梁なんかにも意匠を施していたりするんだけど、170cmの視点からだとそれが見づらい。意識すれば見えるけれど、無意識に視界に飛び込んでくる感じにならない。
同じ理由で、京都なんかにあるような「庭が美しいお寺」だったら、外廊下に正座するなり腰掛けるなりすると良いよ。借景も含めて本来の美しさを堪能できるから。

料理の盛り付けも、どの角度で見られるかということを予測して行います。だから、真上から写真を撮るとちょっと変な具合になったりするんだ。
お寺やお城で変な歩き方をしている人がいたら、それはぼくかこれを読んで実行している人なのでそっとしてあげてください。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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