エッセイみたいなもの

今日のエッセイ 日本のお酒は食べ物だった? 2021年6月26日

お酒の歴史を書き始めてまだ古代です。さてさて、いつになったら現代にたどり着くことかしら。と思っている皆さん。ぼくもそう思う。ホント長い。だけど、お酒が人類史にどんな影響力を持っていたかを知ろうと思ったら、生まれ育ちを知っておいたほうが良いと思うんだ。ほら、人間でもそうでしょ。生まれ育ちがわかるとその人がわかる。
ということで、はりきっていってみましょう!今日は日本のお酒です。

日本でのお酒の歴史も結構古いよ。なんたって、高温多湿気候だからね。わりと放っといてもお酒が出来る環境なんだ。当然だけど、日本のお酒も始まりは果実酒だったみたいだよ。縄文時代の「有孔土器」というものが酒造りに使われた土器として発掘されている。他の土器との違いは「ガスを抜くための穴」が空いているというところがポイント。発酵する時にプツプツとガスが出るからね。これが最初の酒でぶどう酒。
ところで、昨日のエッセイと比べて気がついた人がいるかどうかわからないけど、日本が「土器」で中国が「陶器」なんだよね。やっぱ古代中国スゲー。

日本でも果実酒がスタートだったんだけど、それは早い段階で穀物酒に置き換わっていくことになる。弥生時代には水田が整備されていて、高床式倉庫みたいな貯蔵庫まで備えるようになったんだ。そのくらい「米」の栽培に力を入れているんだったら、お酒だってお米から作ることになっていくよね。
果実は収穫できる期間も限られているし、お米ほどの生産量がない。だったら安定しているお米からお酒を作るのは自然の流れだろう。

日本以外でも東アジア圏ではお米を原料とするお酒が中心になっている。稲作文化の影響だよね。それにともなって果実酒は減っていった。インドだけが例外かな。紀元前から葡萄の栽培がされていたから、ワインも一部の貴族では飲まれていたらしいんだ。もしかしたらお釈迦様も若い頃は飲んだことがあるかもしれないというのは、ぼくの妄想だけど。

「日本」で「米」から作る「酒」なら、「日本酒」となりそうだけれど、実はそうじゃない。日本酒が今のような形で世に出てくるのはずーっとあとになってからだ。
記録としてまともにお酒が登場するのは弥生時代で、3世紀になってから。魏志倭人伝ってあるでしょ。中国の人が日本について書き記した書物。ここに登場するのが最初なんだって。著者が日本人じゃないのは、まだ日本には文字がないからだね。

この頃のお酒は「口噛み酒」って言って、お米を口の中でモグモグしたものをツボに吐き出して発酵させたものだ。神様に仕える巫女さんがこの仕事をしてたらしい。デンプンの加工や発酵を促進する工程を口でやってたということね。今でも言葉に名残があって、醸す(かもす)は噛む(かむ)の派生なんだって。何度も言うけれど、和語だから音の派生で感じて欲しい。巫女さんも酒造りは大変な事業だったらしくて、歯に雑菌があるとちゃんとお酒にならないからという理由で抜歯していた人もいたみたい。

あとね。まだ濾過する技術がないから、お酒は食べ物みたいな感覚だったんだって。酒粕ってあるでしょ。あれは、出来上がったお酒を絞った粕だもん。濾さずにそのままだったらドロドロしているよね。どうやらもっと固形に近くて、箸でつまんで食べていたと言われている。ということが、後の文書「古事記」や「日本書紀」に描かれている。今の日本酒と全然違う。ちなみに名前も「酒」じゃないんだけどね。「き」「みわ」「くし」という名称で記載されているんだって。お神酒(おみき)もたぶんこっちの名称だろうね。

これが大和時代までの話。大和時代ってのは社会の教科書でいうと古墳が出てくるあたりから平城京が登場するまでのところ。まだまだ古代だけど、早くも米作りと麹の文化が出てきているし、なによりも神事に利用されているよね。ここが不思議なところというのは、まだ変わらないなぞだなあ。

今日も読んでくれてありがとうございます。奈良時代に入ってから、急速に日本のお酒文化が加速していくことになる。と言う話が次回に続きます。

  • この記事を書いた人

武藤太郎

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